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東京地方裁判所 昭和58年(刑わ)3804号 判決 1985年3月13日

判決目次

前文

主文

理由

(認定事実)

一 被告人の略歴及び被告人と長尾泰次との関係

二 罪となる事実

(証拠の標目)

(事実認定についての説明)

第一 本件の問題点

第二 自白以外の証拠による検討(I)

長尾が二月下旬「無盡蔵」店内で攻撃を受け、それによりそのころ死亡したとの認定について

一 二月下旬長尾が突然行方不明になつたこと

1 行方不明となつた状況

(一) 長尾の住居の電気、ガス、水道の各使用状況

(二) 長尾方の新聞の状況

(三) 生鮮食料品等の放置

(四) 他人と会う約束の無断破棄

(五) 出国の形跡の不存在

(六) 自殺・失踪の動機がないこと

2 二月二七日以降に長尾の生存を確認した旨の証言等の検討

(一) 二月二七日、長尾宅の家賃を管理人のもとに届けたのは長尾自身であるとする主張について

(二) 久野勇証言について

(三) 佐藤純証言について

(四) 片岡一郎証言について

(五) その他、長尾が二月二七日以降生存したことを推認させる形跡として弁護人が指摘する諸点について

(六) まとめ

二 「無盡蔵」店内に長尾の血液型と同じ型の多数の血痕等が存在したこと

1 「無盡蔵」店内の状況

(一) シヨーケース、机等への血痕付着

(二) ピータイルへの人血付着

(三) じゆうたんの血液反応

(四) キリムの血液反応

2 血痕等に関する弁護人及び被告人の主張について

(一) シヨーケース等の飛沫血痕について

(二) じゆうたんのルミノール試験陽性反応について

(1) 酸化剤等による反応の可能性について

(2) ロイコマラカイト緑試験の問題点について

(三) 他所で血痕が付着した可能性について

3 まとめ

第三 自白以外の証拠による検討(II)

被告人が犯人であるとの認定について

一 これまでに指摘した事実の指し示すもの

二 長尾行方不明後の被告人の行動の不自然さについて

1 長尾行方不明直後の多額の支出について

(一) それまでの困窮状況

(二) その後三月六日までの収支

(1) 入手金員

(2) 支出金員

2 被告人の三月七日以降の金員支出状況

3 長尾の仏具類、愛用品等の処分

4 長尾の行方についての同業者らへの説明の不自然さ

5 捜索願提出の遅延と長尾の親族への不連絡

三 被告人のブーツに付着していた血痕について

四 まとめ

第四 捜査段階における被告人の自白の信用性について

一 自白状況

1 自白に至るまでの経緯

2 自供開始後の被告人の供述状況

(一) 捜査官に対する自白維持状況

(二) 録音テープ、ビデオから窺われる自白状況

(1) 録音テープ

(2) 犯行再現状況のビデオ録画

(三) 捜査機関以外の者に対する供述状況

二 自白内容

1 「秘密の暴露」に準ずる事実の自白について

(一) 店内犯行説に至る捜査経緯

(二) 犯行地点、犯行態様についての自白について

(三) 犯行場所等の自白をした理由に関する被告人の弁解について

2 自白と客観的事実とのその他の符合点

(一) ピータイルのコンクリート床からの剥離

(二) シヨーケース等の濡れた布でぬぐわれた痕跡

(三) 犯行後の被告人の収支状況

(四) 長尾のパスポート等の処分

(五) 「無盡蔵」の車の出入庫状況について

(六) 死臭隠滅工作

3 自白の具体性

(一) 犯行状況について

(二) 死体梱包方法について

(三) その他の諸点

三 自白内容の問題点

1 返り血の痕跡が認められた被告人の衣類が発見されていないこと

2 自白が変遷している事項

3 長尾殺害の動機に関する自白の信用性について

4 死体投棄場所

(一) 死体が発見されていない点について

(二) 公共物揚場出入口鎖の状況についての被告人の自供と証言との不一致について

(三) 被告人の供述変遷について

四 被告人の公判における犯行否認供述等の不合理性

五 まとめ

第五 犯行日の特定

一 問題となつた経緯

二 被告人のアリバイ主張について

三 長尾と最後に別れた状況に関する被告人の公判供述について

1 供述の変遷

2 これに対する評価

四 二月二五日、二六日における長尾の生存目撃証言等の評価

1 堅山証言

2 小松茂美証言

3 まとめ

五 犯行日を二月二四日と認定した積極的根拠

1 被告人の捜査段階における自白

2 長尾宅の新聞の状況と被告人のした処分

3 二六日、クリーニング屋訪問時の長尾の不在

4 二月二五日、二六日の被告人の金銭支出状況

5 まとめ

第六 結論

一 殺人について

二 有印私文書偽造、同行使、詐欺について

(法令の適用)

(量刑の理由)

後文

被告人 笹川龍則

昭二七・一一・一二生 無職

主文

被告人を懲役一三年に処する。

未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

理由

(認定事実)

一  被告人の略歴及び被告人と長尾泰次との関係

被告人は、昭和二七年一一月新潟市で出生し、母方の親族の反対で両親が婚姻していなかつたため、同市内の母の友人のもとで育てられたのち、四歳ころ、両親が婚姻届出をしたのを機に、当時川崎市に移り住んでいた両親のもとに引きとられ、同市の小学校、横浜市の私立中学、高校を卒業し、一年間浪人の後、昭和四七年四月青山学院大学経済学部二部へ入学した。被告人は、昭和五〇年六月中旬ころ、当時子宮癌の末期で新宿の病院に入院中であつた母の看病に通うのに地理的に便利であり、収入も良いという理由から、新宿歌舞伎町のホモ・バーで男娼のアルバイトをするようになつたが、間もなく同月二三日母が死亡して右アルバイトを辞め、同年九月ころから東京都豊島区東池袋一丁目七番二号東駒ビル二階において長尾泰次(大正一五年六月一二日生)の営む古美術店「無盡蔵」のアルバイト店員として稼働し始め、昭和五一年八月には同店の従業員が被告人一人となつたため、大学も中退して、以後正規の店員として働いてきた。被告人は、これより先、「無盡蔵」にアルバイト店員として勤め出した昭和五〇年の秋、鈴木秋代と結婚し、やがて二児を設けたが、昭和五四年九月妻と別居し、同年一〇月から愛人であつたクラブ・ホステス林恵美子と同棲してきたものである。

被告人は、前記「無盡蔵」の店主長尾泰次とは、前記ホモ・バーで男娼をした際、男色嗜好者である同人に買われて身体を提供して知り合い、その際同人から気に入られ、「自分の店で働かないか。」と誘われていたため、前記のとおり昭和五〇年九月から同店で働くようになつたものであつた。被告人は、同店において、車の運転、店番、客に対する湯茶の接待、古美術品の小修理等の仕事に従事するほか、一、二週間に一回くらいの割合で独身の長尾からの求めに応じて男色関係を続けるようになつた。被告人は、長尾から、毎月給料のほかに、多額の小遣を与えられ、やがて、同人から給料(当初月約一〇万円、本件当時三〇万円)以外にもらう金員は月平均約五〇万円、多い時には月一〇〇万円前後にも達するようになり、これらの収入によつて被告人は、別居している妻子に毎月二二万ないし三六万円の仕送りをするほか、前記愛人林恵美子と同棲し、同女と海外旅行をしたり、自動車や高価なオーデイオ用品を購入するなど贅沢な生活を恣にしていた。また、被告人は、長尾に対し、その古美術に関する見識を尊敬するとともに、同人がしばしば被告人や同業者らに対し、将来「無盡蔵」の店は被告人に継がせるつもりだなどと洩らしていたこともあつて、自分としては、大学を中退までして続けてきた職業であるから、今後古美術関係で身を立てるほか道はないとの気持から、店を継がせるという長尾の言葉に大きな期待をかけて働いてきた。

しかし、一方、被告人は、生来の男色嗜好者でなく、単に金を得るため長尾に肉体を提供していたため、同人との性関係は愉快でなく、時が経つに連れて、同人からの肉体関係の求めを断つたりするようにもなつていたところ、昭和五六年夏ころから、同人との肉体関係を拒絶すると、同人から「何のためにお前に高い金を払つているんだ。」などと詰られ、心が痛く傷つくこともあつた。

昭和五六年一二月二六日から昭和五七年一月八日まで、長尾はエジプト旅行をしたが、右旅行から帰つた後、同人の被告人に対する態度が急に変つた。同人は、それまで以上に執拗に男色関係を求めるようになり、被告人がこれを拒絶した際には前同様に詰ることを繰り返し、また、それまではふんだんに被告人に与えていた給料外の手当を全く呉れなくなつたばかりか、店を継がせてもらいたいと期待している被告人の気持を逆なでするように、被告人に対し、「店をたたもうか。」などと洩らすようになつた。そのため、被告人は、妻秋代への仕送りにも支障をきたし、自動車の月賦等各種支払も滞らせ、日々の小遣銭にも困るようになり、妻秋代から逆に五〇万円借りたり、林恵美子から二、三回にわたり二、三千円ずつを借りたりする程金銭に窮するとともに、同店を継いで営業できるかについても強い不安を抱くようになつていた。

二  罪となる事実

被告人は、

第一  昭和五七年二月二四日午後七時四〇分ころ、東京都豊島区東池袋一丁目七番二号東駒ビル二階古美術店「無盡蔵」店内において、長尾泰次(当時五五歳)を殺害しようと決意し、自己の事務机の上に置いてあつた鉄製ボルト(長さ約五〇センチメートル、太さ直径約一・五ないし一・八センチメートル)を右手につかむや、被告人に背を向けて同店入口方向に歩きかけていた同人の背後から右ボルトでその後頭部を力一杯殴りつけ、これにより前に崩れるように俯伏せに倒れた同人の右側に立ち、更に同人の頭部めがけて数回にわたり右ボルトを激しく振り下ろして殴打し、よつて、そのころ同所において同人を、頭蓋内骨折を伴う打撲傷にもとづく頭蓋内損傷により死亡させて殺害し、

第二  右犯行後、長尾の死体を処分したのち、なにくわぬ顔で自ら「無盡蔵」の経営を続け、同店を訪れる同業者、常連客らに対しては長尾がニユーヨークに行つているなどと虚構の事実を告げながら、商品を売り払いつつ自己の利を得ていたが、同年三月中旬ころ、古美術商エリー・サフアイからペルセポリスの大理石レリーフの購入方を勧められた際、これを購入し転売して更に利を得ようと考え、長尾が生前東京国立博物館に売却手続をとつていた仏画「胎蔵界曼荼羅図」一幅の代金一二〇〇万円が同年四月一〇日同博物館から長尾泰次の預金口座である株式会社東京都民銀行池袋支店の長尾光洋名義の総合口座に振込入金となつたのを知つて、これを右レリーフ買受資金や当時自己の経営していた「無盡蔵」の経費等自己の用途にあてようと考え、

一  同年四月一二日、東京都豊島区南池袋二丁目二六番五号東京都民銀行池袋支店において、行使の目的をもつて、ほしいままに、同支店備付けの普通預金払戻請求書用紙の金額欄に「¥8,000,000」、おなまえ欄に「長尾光洋」とそれぞれ記入し、お届印欄に長尾と刻した印鑑を押捺し、もつて、長尾光洋作成名義の普通預金払戻請求書(押収番号略、以下同じ)一通を偽造したうえ、これを同支店預金係児玉輝美らに対し、あたかも真正に成立したもののように装い、長尾光洋名義の同支店総合口座通帳と共に提出行使して、右金員の払戻しを求め、右係員らをしてその旨誤信させ、よつて、即時同所において、同銀行出納係員から預金払戻名下に現金八〇〇万円の交付を受けてこれを騙取し、

二  同月一三日、同銀行同支店において、行使の目的をもつて、ほしいままに、同支店備付けの普通預金払戻請求書用紙の金額欄に「¥2,200,000」、おなまえ欄に「長尾光洋」とそれぞれ記入し、お届印欄に前記印鑑を押捺し、もつて、長尾光洋作成名義の普通預金払戻請求書一通を偽造したうえ、これを同支店預金係児玉輝美らに対し、あたかも真正に成立したもののように装い、前記総合口座通帳と共に提出行使して、右金員の払戻しを求め、右係員らをしてその旨誤信させ、よつて、即時同所において、同銀行出納係員から預金払戻名下に現金二二〇万円の交付を受けてこれを騙取し、

三  同月一六日、同銀行同支店において、行使の目的をもつて、ほしいままに、同銀行備付けの普通預金払戻請求書用紙の金額欄に「¥1,800,000」、おなまえ欄に「長尾光洋」とそれぞれ記入し、お届け印欄に前記長尾の印鑑を押捺し、もつて、長尾光洋作成名義の普通預金払戻請求書一通を偽造したうえ、これを同支店預金係山崎貴美らに対し、あたかも真正に成立したもののように装い、前記総合口座通帳と共に提出行使して右金員の払戻しを求め、右係員らをしてその旨誤信させ、よつて、即時同所において、同銀行出納係員から預金払戻名下に現金一八〇万円の交付を受けてこれを騙取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(事実認定についての説明)

(注) 以下の記述において、年月日を示す場合、「昭和五七年」については原則としてその記載を省略した。また、証拠の引用については、別紙(一)の「証拠の引用例」に従うこととした。

第一本件の問題点

一  本件は、被告人が捜査段階において、当初は否認していたものの、身柄拘束の四日後から長尾を殺害したことを自白し、以後詳細かつ具体的な自白をほぼ一貫してなしていたが、公判段階に至り、第一回公判期日で、右自白を翻えして、本件殺人の公訴事実を全面的に否認し、以来本件公判審理を通じてその態度を維持し続けている事案である。そのうえ、本件では、殺害の犯行日とされる昭和五七年二月二四日以来三年以上経過した現在に至つても、被害者とされている長尾の遺体は勿論、当時同人が着用あるいは携帯していたと思われる遺品等も、捜査機関の相当期間にわたる捜索にもかかわらず、未だに全く発見されておらず、かつ、殺害犯行日とされる同日以降に長尾の生存している姿を直接目撃し、あるいは、同人と電話で会話したなどと供述する数名の証人が本件公判に現われ、そのため被害者の死亡の事実自体も重要な争点となつているのである。

二  本件における弁護人の主張の骨子は、次のとおりである。即ち、弁護人は、判示第一の殺人の事実について、

1 長尾が二月二四日午後七時四〇分ころ、「無盡蔵」店内において殺害された事実はなく、被告人は、同月二六日同人と別れて以来その消息を知らないが、右日時以降に同人の生存しているのを確認している人物が多数存在すること、

2 被告人は、犯行日時とされる前記日時には池袋のミニクラブ・シヤトレーヌ及びパブ・フアツシヨンドラムで飲酒しておりアリバイが存すること、

などを挙げたうえ、「結局本件については、長尾が死亡したことは勿論、仮に長尾が死亡したとしても、いつ、どこで死亡したのか、及び、被告人が長尾の死にどのようなかかわりをもつたかについても、検察側の立証が尽くされておらず、被告人は無罪である。」と主張し、また、判示第二の有印私文書偽造、同行使、詐欺の事実についても、被告人が長尾の普通預金の払戻しを請求し、払戻金合計一二〇〇万円を受領したことは間違いないが、これは、長尾が失踪中であつたので、同人に代わり「無盡蔵」の経営のために行つたものであつて、長尾の推定的承諾に基づく払戻として、やはり無罪である旨主張する。

このうち、有印私文書偽造、同行使、詐欺の点に関する主張は、被告人が長尾を殺害した事実が認定されれば、当然長尾の推定的承諾ということもあり得なくなる関係上、殺害事実の否認を前提に成り立つ主張であることは明らかである。

三  当裁判所は、右に述べた本件事案の特殊性と争点に鑑み、本判決をするに当たり、本件殺人の公訴事実について、まず、被告人の捜査段階における犯行及びその犯跡隠滅工作等に関する自白を除外した他の本件証拠からどこまでの事実が認定できるかについて精査検討し、その後に、被告人の捜査段階における右自白の信用性を詳しく検討する手順を踏んだ。その結果、当裁判所としては、

1 右自白以外の証拠のみによつても、(一)長尾が二月下旬「無盡蔵」店内において相当量の出血を伴う攻撃を受け、それが原因でそのころ死亡したこと、及び、(二)右犯行は被告人が単独で又は少くとも他の者と共謀してなしたことを認めることができ、

2 被告人の捜査段階における前記自白は基本的にはその信用性を肯定することができ、これにより、更に被告人が「無盡蔵」店内で単独で判示認定の方法により殺害したことが証明されるとともに、

3 右自白及び他の証拠を総合すると、犯行日は二月二四日と特定することができるとの確実な心証に到達した。

そこで、以下においては、右判断過程に従い、ほぼその順序で、当裁判所の右各心証形成の理由の主要な点を詳しく説明することとする。

第二自白以外の証拠による検討(I)―長尾が二月下旬「無盡蔵」店内で攻撃を受け、それによりそのころ死亡したとの認定について

一  二月下旬長尾が突然行方不明になつたこと

1 行方不明となつた状況

長尾は、二月二四日夕方「無盡蔵」で同店の客竹田昌暉と応対した(証拠略)が、同月下旬ころ、それまで一〇年近く継続してきた古美術店やその商い等を全く放置し、被告人及び周囲の親しい者や取引先等にも何ら連絡せぬままに、忽然としてその消息を絶ち、以後現在に至るまで、三年有余の長期にわたつて、自らを被害者とする殺人事件の捜査、公判の模様が広く報道されているにもかかわらず、全くその行方が知れない(証拠略、なお、同月二五日以降に長尾と接触を持つた旨供述する証人の証言の検討については後述する〔第二の一2、第五の四〕。)、そして、長尾が遅くとも二月二七日朝から突然行方不明になつたことについては、被告人自身もまた捜査、公判を通じて一貫して認めているところである。

そこで、その行方不明になつた際の状況につき更に検討すると、以下の事実が認められる。

(一) 長尾の住居の電気、ガス、水道の各使用状況

当時長尾は独身で東京都豊島区南池袋一丁目二〇番一号横田ビル九階C号室に単身居住し、そこから「無盡蔵」の店舗に通つていたが、右長尾方居室の電気、ガス、水道の各使用量は、いずれも同人が行方不明になつた時期を境に激減している。

(1) 電気については、三月三日の検針日までの約六か月間、約一か月あたり、三三〇ないし四四五キロワツト時恒常的に使用されてきたのに対し、同日よりのちは、同室の電気冷蔵庫が通電状態のままになつていた状況の下で約一か月当たり六四ないし七五キロワツト時と激減している(証拠略)。

(2) ガスについては、三月四日の検針日までの約六か月間、約一か月当たり三三ないし一三四立方メートル使用されていたのに、同日よりのちは全く使用されていない(証拠略)。

(3) 水道については、二月四日の検針日までの約六か月間、約二か月当たり一七ないし二五立方メートル使用されていたのに対し、二月五日から四月六日までの間についてはこれが八立方メートルに激減し、更に同日よりのちは全く使用されていない(証拠略)。これらの点は、二月下旬ころから後は、同人が同室に戻つていないことを裏付けるものである。

(二) 長尾方の新聞の状況

九月二七日の検証時、二月一二日付から二三日付までの朝日新聞が同室の洋間机付近に存し、同月二四日付から二六日付までの分は同室内に見当たらず、同月二七日付朝刊から四月二日付までの大部分は玄関に近いダイニングルーム床上に散乱していた(証拠略)。また、長尾方の郵便受けには、購読契約が解約されないまま三月初めから新聞がたまるようになつた(証拠略)。右状況は、長尾は同月二七日朝以降は自室で新聞を読まなくなつたこと及びそれが自らの意思によるものでないことを窺わせる。

(三) 生鮮食料品等の放置

九月二七日の前記検証時の長尾宅居室内の状況を見ると、冷蔵庫内に、牛乳、牛肉、卵、生クリーム、野菜類等の生鮮食料品が収納されたままであり、右冷蔵庫内の収納食品に付されている製造年月日はいずれも昭和五七年二月二〇日以前であつて、右野菜類は腐敗し変形している。また、洗濯した靴下、半袖シヤツが窓の手すりに干されたままになつている(証拠略)など、長期にわたつて不在にするとすれば、当然事前に片付けられてしかるべきはずのものが、そのまま放置されていた。

(四) 他人と会う約束の無断破棄

長尾は、二月下旬夕刻に港区赤坂所在のアジア会館においてザヒード・ペルバス・バツトと取引の為会う約束をその日の昼間にしていながら、何ら連絡をしないままにこれを破り(証拠略、なお、この点に関する被告人の主張とそれに対する当裁判所の判断については後述する〔第五の三2(四)〕。)、また、かねて特別懇意にしていた東京国立博物館学芸部美術課長の小松茂美との間で同月二六日夕方に「無盡蔵」の店で会う約束をしていたにもかかわらず、何の連絡もなくこれを破つている(証拠略)。

(五) 出国の形跡の不存在

出入国記録によれば、長尾は昭和五六年一二月二六日から翌年一月八日までエジプト旅行に出掛けて以降、一切本邦を出国した形跡は存せず(証拠略)、また、同人が旅行に出たのであれば当然持参したであろう黒色化粧バツグもその居室内に残されていた(証拠略)ことに照らすと、同人が二月下旬ころ海外旅行に出掛けたとも認められない。

(六) 自殺・失踪の動機がないこと

長尾は前記のとおり独身で、単身マンシヨンに居住し、心身の異常も窺われなかつたうえ(証拠略)、「無盡蔵」の経営も順調であり、昭和五六年度の所得税確定申告書によつても、同年度の売上は八九〇〇万円余、同売上粗利益は二〇〇〇万円余、同営業純利益でも三〇〇万円以上あつたほか、資産の総計三五二二万円余に対し、負債は総計一〇二〇万円程にすぎなかつたうえ(証拠略)、近く東京国立博物館に判示第二記載の仏画「胎蔵界曼荼羅図」を売却する予定であつたなど(証拠略)、経済的にも充実していた。従つて同人が、身体的、精神的あるいは経済的な悩みなどから自ら身を隠したり、人知れず自殺するなどの動機は全く見出すことができない。

これらの状況を総合すると、長尾は二月二四日夕方から遅くとも二七日朝までの間において突然行方不明になつたこと、及び、これは同人の身に予期していなかつた異変が生じたためであることを推認することができる。

2 二月二七日以降に長尾の生存を確認した旨の証言等の検討

前記のとおり、長尾は二月二四日夕刻から二七日朝までの間に突然行方不明となり、その後その消息の一切を絶つてしまつたと認められるのであるが、この点について、弁護人は、同月二七日以降長尾を目撃し、あるいは電話で話をするなどしてその生存を確認した者が存する旨主張し、これに添う証言をする証人も存するので、以下にその証言等の信用性について検討を加えることとする。

(一) 二月二七日、長尾宅の家賃を管理人のもとに届けたのは長尾自身であるとする主張について

まず、二月二七日、前記横田ビル内長尾宅の家賃がその管理人である加賀田千代子に支払われたことを証する同日付通帳式領収証一通が存在するところ(証拠略)、被告人は、当公判廷において、同日自分が家賃を届けた覚えはない旨供述し(証拠略)、弁護人もそれは長尾自らが同女に支払つた可能性が高いと主張する。

しかしながら、この点については、右受領者である加賀田自身が本件公判において届けに来たのは長尾ではなくて被告人であつた旨明確に証言しており(証拠略)、しかも、被告人も捜査段階においては、自己が同日家賃を持参したのを認めているのであるから(証拠略)、右家賃を持参したのが長尾であつた旨の弁護人の主張は採用できない。なお、弁護人は、右加賀田が当初捜査官に対し、二月二七日は長尾さんが持つてきた旨供述していた点をとらえ、同女の前記公判供述の信用性を争うが、同証人の公判供述はその内容が自然で、具体性に富み信用性は高いものと言えるうえ、同女の右の点に関する記憶喚起の過程を見ると、同女は家計簿の同日欄に記入された「大阪ずし」等購入の記載から同日息子の嫁の母親が訪ねて来たことを思い出し、その接待の途中で被告人に家賃を届けてくれるよう電話して持つて来てもらつたことを思い出したというのであるから(証拠略)、その記憶喚起は極めて具体的な事実と結びついて、自然な経過を辿つており、この点からもその信用性は高いものと言わねばならない。また、同日が未だ支払期日の前日であるのに加賀田が家賃を催促したのは不自然であるとする弁護人の指摘についても、同女が男色関係の噂のある長尾の自宅へ翌日の日曜日に取立に行くのが嫌であつたので、土曜日に他の会社等の分と共に長尾宅の分も催促した旨説明するところは十分納得できるものであつて、右指摘にかかる点も同女の証言の信憑性を何ら揺るがすものではない。

(二) 久野勇証言について

証人久野勇は、「二月ころに長尾さんがいなくなつたという噂を聞いてから一週間か一〇日くらい後、長尾さんと思われる声の主から、東京古民具骨董館二階のピンク電話に二度電話がかかつてきた。一度目は、多分右電話近くにテナントを構える奥平から取り次がれたと思うが、電話口に出ると、ひどく酔つぱらつてろれつが回らないような口調で何かわからないことを言つて、そのまま切れた。二度目も多分奥平の取次で証人が電話口に出ると、『嶋田さんいるか。』としばしば証人の店を訪れる同業者を名指しされ、『まだ来ていない。』と答えるや、証人が、『長尾さんでしよう。』と尋ねるのもかまわずそのまま切れてしまつた。」旨証言する(証拠略)。

しかしながら、同証人の証言内容は、その電話の時期、内容等重要な事項につき実に曖昧で証言自体の中で揺らいでおり、相手の声が長尾の声であつたと断言しながら、その根拠について再三尋ねられても明確にこれを供述することができないなど、その証言態度も不確かな記憶に基づいて問いに応じて場当り的な受け答えをしているとの印象が強く措信できるものではない。同証人の証言の問題点のいくつかを摘示すると、次のとおりである。

(1) 同証人は、右各電話の時期について、当公判廷では、寒くなかつた時期で長尾がいなくなつたという噂を聞いてから一週間から一〇日くらいのちである旨証言しつつ、しかもそれが二月ころであつた旨供述する。しかし、前記認定のとおり、長尾の行方不明は二月下旬ころであり、それが噂になつたのは三月に入つてからであるから、右日時についての記憶はそれ自体不合理であるうえ、更に九月一〇日ころの捜査機関による事情聴取の際には、右電話の時期を五、六月ころと述べたり、あるいはその翌日には三、四月と述べる(証拠略)など、次々とその供述を変遷させている。

(2) それまで長尾から電話を受けたことがあるかとの問に対しても、当初は「一〇年間その電話に長尾から電話があつたことは一度もない。」旨証言したにもかかわらず、次第に「商売の話で一、二度あつたような気もする。」と変遷し、遂には「前に電話がかかつてきたのはその前年の一〇月ころではないかと思う。」などと証言するに至つている。

このような供述態度のいい加減さに加え、内容的にみても、

(3) 右電話の主は長尾と名乗つたわけではなく、特に、その一度目は趣旨もはつきりしないような簡単なものであつたこと、

(4) 奥平が電話の取次をしたとすれば、嶋田と奥平とは面識があるのであり(証拠略)、長尾が殊更奥平に久野を呼び出させたうえ、嶋田の存否を尋ねる以外に用件がなかつたというのは不自然であること、

(5) その後嶋田のもとへあらためて長尾から連絡が入つた話も聞かれないこと(証拠略)、

(6) 長尾が「無盡蔵」の店を放置し、被告人にすら、全く連絡をとらずにいながら、単にこれだけの用件のために久野に電話を入れるというのも甚だ不自然であること、

(7) 久野は、前記捜査機関の事情聴取の際には、相手が長尾であつたと断言していたわけではなく、「はつきりわからないがしやべり方が似ている。」程度の供述をしていたに過ぎないこと(証拠略)

などの点に照らすと、右証言の価値は甚だ乏しいものと言わなければならない。右証言は到底二月下旬以後の長尾の消息を確認するに足りるものでないことは明らかである。

(三) 佐藤純証言について

証人佐藤純は、「五月二七日午前八時半から四五分ころ、池袋の東京信用金庫本店で開催された狩猟講習会へ行く途中、『無盡蔵』の店の前を通りかかつたところ、その入口のシヤツターが上方約二〇センチメートル残して開いていたので、二階も営業しているのではないかと思い上がつて行つたら、店内左奥の方に長尾が坐つて下向き加減でものを考えているような様子だつた。」旨証言する(証拠略)。

しかしながら、右証言に関しても次のような問題点がある。

(1) 「無盡蔵」の開店時間は通常午前一〇時半ころであり(証拠略)、特に長尾の消息が不明となつたのち相当の時日が経過して、同業者間には既にその行方不明の噂が広まつていたこの時期に、同人が突然店に現われ、しかも午前八時半から四五分という早朝に一人で店を開け、その後また姿を隠すということはほとんど考えられないことであり、しかも何もせずに俯むいたまま手を膝の上においてただ坐つているという情景は誠に不自然であつて、実在感がないと思われる。

(2) 被告人にも、当時長尾が店に突如現われるについてたいした心当たりが存しない(証拠略)。

(3) そのころ同店に出勤していた被告人や女店員も、長尾が当時店を訪れたような形跡に何ら気付いていない(証拠略)。

(4) 「無盡蔵」の道路に面した一階出入口部分には当時上下に開閉するシヤツターはとり付けられておらず(証拠略)、「前を通りかかつたらシヤツターが上二〇センチメートルほどを残して開いていた。」旨の同証人の供述は明らかに客観的事実に反する。

(5) 同証人が「その日長尾は極単純な普通のスチールパイプでできたような椅子に腰かけており、その前には机がなかつた。」旨供述する点も、当時スチールパイプ製様の椅子が「無盡蔵」店内にあつた形跡が本件証拠上窺われず、同証人が長尾を見たと言う店内左手奥には行方不明となる前同人が常時使用していた机付きの応接セツトが置かれていたこと(証拠略)と矛盾する。

(6) 同証人は、「東京信用金庫本店の狩猟講習会会場へ向かう途中、『無盡蔵』の店の前を通りかかつた際に店へ立ち寄る気になつた。」旨供述するけれども、その地理関係を検討すると、東京都豊島区東池袋一丁目一二番五号所在東京信用金庫本店は国鉄池袋駅東口の南東方向約二五〇メートルのあたりに位置し、池袋駅に降り立つた同証人が、同信用金庫へ赴くのに、池袋駅東口の東方向に位置する「無盡蔵」の店舗前を通れば遠回りすることになるのであつて、むしろ、その前回である昭和五四年八月二三日に開催された狩猟講習会の会場である同区東池袋一丁目二〇番一〇号所在豊島区立豊島区民センターが池袋駅の東方向約二五〇メートルに位置し、同会場への最短経路が正に「無盡蔵」店舗前を通ること(証拠略)などに鑑みると、同証人が長尾を目撃したのは前回講習会の行なわれた昭和五四年の際であつたのではないかとの記憶混乱の疑いも存する。

(7) 同証人は、「当日は暑くてクーラーが入つていた。」旨証言するが、問題の五月二七日の気温は平均二三・一度、最高二八度であり、一方前回講習会の開かれた昭和五四年八月二三日が平均二七・五度、最高三一・三度であつたこと(証拠略)に照らせば、同証人の気温についての印象はむしろ昭和五四年度の講習会の時の状況により符合する。

(8) 同証人は、長尾を目撃した際の状況につき、本件公判において、当初「長尾が本を読んでいるとか書類をめくつているとかそういうことはわからなかつた。」旨証言しながら、その後「長尾はその手に新聞とか書類は持つていなかつた。」とその供述内容を変転させるなど、その供述態度も曖昧である。

これらの点に照らすと、同証人の前記証言も甚だ信用性の乏しいものと言わざるを得ず、むしろ同証人は長尾が行方不明になる前のことと記憶違いしている疑いが強い。

(四) 片岡一郎証言について

証人片岡一郎は、「六月二二日、伊東市内の旅館米若荘で開催された骨董市『親睦会』の席上、上から下まで真つ白い服を着た長尾に会い『景気はどうよ。』などと声をかけた。」旨証言する(証拠略)。

しかしながら、右証言に関しても、次のような問題点がある。

(1) 同日同所において開催された「親睦会」は、限定された会員及び特に会主の許可を得た者のみが参加し得る閉鎖的なせり市であり、長尾は会員でないのであるから同人が誰の紹介も受けずに同会に参加することは通常あり得ず、また同人を紹介した人物も存在しない(証拠略)。

(2) しかも、六月下旬といえば長尾が行方不明となつてから約四か月間を経過しており、当時同人が行方不明であるとの噂は古美術業者間にかなり広く行きわたつていた(証拠略)のであるから、仮に多数の古美術商が参集している「親睦会」に長尾が姿を現わしたならば必ず多くの人の目にとまり、注目の的となつたはずであるのに、当日参集した約二五名の者のうち、片岡以外に長尾を目撃したと供述する者はいない(証拠略)。特に、右「親睦会」会場において、片岡の近くに着席していた田中光一郎は、長尾を一〇〇パーセント見ていない旨断言しており(証拠略)、また親睦会開催者である長尾芳雄は、その立場上せり市の会場を常時見渡せる位置におり、せり上げ担当の際には会場から声をかける者の識別に注意しているのであるから、長尾が参加していれば見落とすことはあり得ないはずのところ、同人も当日長尾を目撃していない(証拠略)。

(3) 当日のせりでの売買結果は、同日取引成立に際して作成された葉紙一冊及びこれに基づき作成された清算書一通に記録されているところ、その記録上も長尾が右「親睦会」に加わつた形跡は認められない(証拠略)。

(4) 証人片岡は前記のとおり、「当日長尾は上から下まで真つ白の詰め襟のような服を着ていた。」旨証言するが(証拠略)、長尾は昭和五六年七月一〇日、同じ米若荘で開催された骨董市「弥生会」に同様の服装で出席していたこと、(証拠略)、片岡が当初捜査機関に対して、「親睦会か弥生会かのどちらかで長尾を見た。」旨曖昧な供述をしていたこと、及び片岡が長尾を見た際共に出席していたと考えていた福田が、実際には親睦会には出席しておらず、弥生会の方に出席していたこと(証拠略)が認められる。

これらの点を合わせ考えると、証人片岡の長尾を六月二二日の「親睦会」で見た旨の供述は昭和五六年の「弥生会」の際同人と会つたことの記憶と混同して述べたものであると認めるのが相当であり、同証人の前記証言は全く信用性がない。

(五) その他、長尾が二月二七日以降生存したことを推認させる形跡として弁護人が指摘する諸点について

弁護人は、二月二七日以降に長尾が生存したことを推認させる形跡として、(ア)長尾が行方不明になつた直後の三月二、三日ころ被告人が長尾宅を捜して発見し得なかつた黒色化粧バツグが九月二七日の警察の検証の際同人宅から発見されたこと(証拠略)、(イ)右検証の際、同人宅から四月一日付及び六月二九日付の読売新聞が発見されたこと(証拠略)及び(ウ)一〇月か一一月ころ新聞記者が長尾宅の郵便受に入つているのを見たという韓国人からの手紙がなくなつていること(証拠略)はいずれも長尾が自宅に立ち寄つたことの可能性を窺わせるものであること、また、(エ)一一月下旬ころ長尾に頼まれたという男から小山田佳穗方に「青山へ来て欲しい。」旨の電話があつたこと(証拠略)などを指摘するけれども、これらの点については、右の各時期に長尾が被告人や他の知人らに何ら連絡をとらないでいながら、一旦持ち出した化粧バツグを戻すなどのため一時的に自宅に立ち寄り、あるいは、小山田と会おうとするということは誠に不自然であるのに加えて、次の点が指摘できる。

(1) 化粧バツグについては、検証調書の記載からすると、右バツグは寝室押入内から発見されたものと窺われることや長尾方室内の状況に照らすと、被告人の捜し方が不徹底のため当初発見されなかつた可能性も十分考えられること(証拠略)、

(2) 新聞発見については、長尾行方不明後同人宅にしばしば立ち入つていた被告人や同業者ら(証拠略)により持ち込まれた可能性も十分考えられること、

(3) 郵便受に入つていた手紙の件は、伝聞供述であるうえ、全く曖昧な情報であること、

(4) 小山田への電話の件は長尾自身からかかつてきたものではなく、しかも相手も要件も判然としない曖昧なものであつて、小山田もいたずらだと思い呼出しにも応じなかつたものであること(証拠略)

これらの点に鑑みると、弁護人の指摘する前記各点はいずれも二月二七日以降の長尾の生存を確認し得る証跡とは到底認められないことが明らかである。

(六) まとめ

以上のとおり、二月二七日以降の長尾の消息に関する生存目撃等の証言は、信用性が甚だ低いか全く証拠価値のないものであつて、いずれも措信できず、その他の点も同日以降長尾の生存を確認する証左となすにはいずれも足りないものであつて、他に、二月下旬以降の長尾の行方不明状況に関する認定(前記1)に合理的疑いを生ぜしめる証拠は存しない。

二  「無盡蔵」店内に長尾の血液型と同じ型の多数の血痕等が存在したこと

1 「無盡蔵」店内の状況

「無盡蔵」店内の検証、実況見分等の結果によれば、次の各事実が認められる。

(一) シヨーケース、机等の血痕付着

二月下旬ころ、「無盡蔵」店内に置かれていたシヨーケース等の位置関係はほぼ別紙(二)「昭和五七年二月下旬当時の『無盡蔵』店内の概略」(以下「別紙図面」と言う。)記載のとおりであるところ(証拠略、以下、シヨーケース等の特定は別紙図面記載の表示に従う。)、右シヨーケース等には、以下のとおり、多数の血痕等が付着している。

図面<1>のシヨーケースには、一二月二三日の検証の際、その南側下部の木製観音開戸表面全体にわたつて、東方から放射状に飛沫した柳葉状血痕多数を含む長さ約二・五センチメートルくらいから半米粒大くらいまでの数十個の血痕が付着し、その東側側面下部には十数か所にわたつて半米粒大の飛沫血痕が、その東側面上部の北側の木製ガラス枠には下方から飛沫したと認められる米粒大の飛沫血痕が、それぞれ付着していた(証拠略)。なお、昭和五八年一月七日実施した実況見分において前記南面下部に付着した血痕中、柳葉状の飛沫血痕の方向及び角度からその飛沫基点を計測した結果によれば、右各血痕は同ケースの南東角からほぼ東南東方向へ約八八センチメートル、高さ床上二〇センチメートルの辺りから飛沫したものと推認されている(証拠略)。

図面<2>のシヨーケースの東側ガラス部分下部には、一二月二三日の検証の際二個の米粒大の血痕が付着していた(証拠略)。

図面<3>のシヨーケースの西側上部木製枠部分には、一二月二三日の検証及び昭和五八年一月二五日の実況見分の際、床上約二・二メートルのところに、下方から飛沫した米粒大の血痕様のもの二個が、同下部台座部分には半米粒大血痕様のもの五個が、それぞれ付着していた(証拠略)。

図面<5>の机の引出しの北側底木枠部及び底板部には、一二月二三日の検証の際、米粒大ないし半米粒大の血痕様のもの九個がそれぞれ付着していた(証拠略)。

そして、各血痕及び血痕様のものにつき鑑定した結果、図面<1>ないし<3>のシヨーケース及び<5>の机から、いずれもB型の人血反応が確認されている(証拠略)。

(二) ピータイルへの人血付着

二月下旬当時、同店内床面に敷かれていたピータイルは、その後一二月一日ないし八日の同店改修工事により張りかえられ、そのころその大部分が廃棄されたが、この時廃棄を免れたピータイル破片について鑑定したところ、その内の三枚についてその表側にB型の人血が付着していたことが認められた(証拠略)。

(三) じゆうたんの血液反応

二月下旬当時、「無盡蔵」店内床面(前記ピータイル上)に敷き詰められていた赤茶色縞模様じゆうたんは、前記同店の改修工事の際廃棄された(証拠略)が、右工事前の一一月一三日同店舗内で行なわれた実況見分の際の血液予備検査(ルミノール試験)の結果によれば、別紙図面の実線(一部点線)で囲まれた部分からルミノール陽性反応が顕出された(証拠略)。

(四) キリムの血液反応

鑑定結果によれば、二月下旬当時、「無盡蔵」店内の前記じゆうたん上に敷かれていたキリム(じゆうたんの一種)二枚、小じゆうたん六枚のうち、別紙図面中破線で囲んだ部分に敷いてあつたキリム一枚の裏面からルミノール陽性反応及び人血反応が出ている(証拠略)。右の鑑定によれば、右血液の血液型については、汚れ等の影響により結局確定することができないが、それが人血であることは明らかにされている。

2 血痕等に関する弁護人及び被告人の主張について

弁護人あるいは被告人は、次のとおりこれらの血痕等が「無盡蔵」店内以外の場所で無関係に付着した可能性や、右検査結果が血液付着による反応でない可能性を主張するが、右主張は、いずれも以下の理由から失当というほかない。

(一) シヨーケース等の飛沫血痕について

被告人は、当公判廷(二三回)において右血痕の心当たりを尋ねられた際、特に記憶がないと答えつつ、一方、被告人や長尾が仏頭の仕込み等の作業中、指先等をグラインダーや電気鋸等で切り、その血が飛び散つたことがあつたので、その際の血痕ではないかと述べる。

しかし、

(1) 指先を切つた程度でその血液がこれほど広範囲に飛散し、かつ多数箇所に付着することは到底考えられないこと、

(2) グラインダー等による作業は被告人の机(別紙図面の<7>)付近あるいは長尾の使用していた応接セツト(別紙図面の<9>)でなされていたと被告人は述べるところ(証拠略)、飛沫血痕は別紙図面×地点の周辺のみに集中していること(別紙図面参照)、

(3) 被告人が捜査官に対しては、工具でけがをしたときも血は一、二滴で家具に飛び散るようなことはなかつた旨述べていること(証拠略)

などに照らすと、前記の血痕等の付着が被告人が述べるような作業中の負傷によるものでないことは明白である。

(二) じゆうたんのルミノール試験陽性反応について

(1) 酸化剤等による反応の可能性について

弁護人は、前記じゆうたんのルミノール陽性反応について「無盡蔵」店内において贋物に古色をつけるために使用されていた酸化剤である過マンガン酸カリあるいは銅製の棒等を切断した際に飛散した銅粉等がじゆうたんについていたためルミノール検査に反応した可能性が高く、血液反応ではない疑いがある旨主張する。しかしながら、次の<1>及び<2>の点に照らすと、弁護人の右主張は到底採り得ない。

<1> もし過マンガン酸カリあるいは銅粉等が右反応の原因であるとするならば、反応はその作業の行われた被告人の机(別紙図面の<7>)付近あるいは長尾の応接セツト(別紙図面の<9>)付近にむしろ現れるはずであるのに、反応がそれらの部分には現れず、別紙図面の実線等で囲まれた部分にのみ現れている。

<2> じゆうたんの右陽性反応のほか、前記キリム裏面のルミノール陽性反応及び人血反応、同ピータイル表面のB型人血反応がいずれも上からキリム、じゆうたん、ピータイルの順で重ねられた状態にあつたそのそれぞれについて出ていることからすると、右ルミノール陽性反応は、人血を含む相当量の液体がじゆうたんに浸み込み、その上のキリムと下のピータイルに浸透したことを示しているものと理解するのが合理的である。弁護人のいう銅粉等の影響では、じゆうたんのシヨーケース下の部分、キリムの裏面及びピータイル表面の各反応は説明し難い。

(2) ロイコマラカイト緑試験の問題点について

また、弁護人は、一一月一三日の実況見分の際、ルミノール試験後に行われたロイコマラカイト緑試験において、血液が付着していれば第一試薬及び第二試薬を順次滴下した後に初めて陽性反応を呈するはずであるのに、第一試薬である無色マラカイトグリーン水溶液を滴下したのみで、未だ第二試薬であるオキシフルを滴下する前の段階で、じゆうたんが陽性反応を呈したため、検査不能と判定された(証拠略)点を指摘して、右ルミノール試験陽性反応の結果はこの点からも人血反応でない可能性が大であると主張する。しかし、次の二点に照らすと、右主張も理由がない。即ち、

<1> ロイコマラカイト緑試験が「検査不能」であるからといつて、右事実は何らルミノール陽性反応が人血反応ではないとの事実を推認させるものではない(証拠略)。

<2> 右ロイコマラカイト緑試験に先立つて行われたルミノール試験検査液中の過酸化水素水(オキシフル)がじゆうたん表面に残留していれば、これがロイコマラカイト緑試験の第一試薬に反応して陽性を呈する可能性も十分考えられる(証拠略)ところ、右ルミノール試験においては通常の使用量をかなり上回る量の検査液がじゆうたんに噴霧されたことが認められる(証拠略)。

要するに、ロイコマラカイト緑試験第一試薬の反応により同検査が不能となつた事実は、前記ルミノール陽性反応の原因が人血でなかつたことを推認させるものでないことは勿論、右じゆうたんに人血が付着していた場合の反応としても、何ら矛盾はなく、合理的に説明が可能であり、他の証拠から右じゆうたんへの人血付着の事実を推認する際の障碍となるものではないのである。

(三) 他所で血液が付着した可能性について

弁護人は、右シヨーケース等、キリム、ピータイル、じゆうたんがいずれも本件後店外に搬出されており、また、その入手経路が明らかでないものもあるとして、店外で血痕が付着した可能性も否定できないと主張する。

(1) しかしながら、この点に関しては、右シヨーケースやキリムは一一月九日「無盡蔵」店内から横田ビルの長尾宅あるいは福元義美方の物置きに搬出されたのちずつと右各所に保管されていたものであり(証拠略)、また、ピータイルは一二月上旬に「無盡蔵」から撤去後、捜査機関に提出されるまで改修工事施工会社の倉庫内に保管されていたものであつて(証拠略)、それが二月下旬当時「無盡蔵」店内にあつた物と同一物であることは明白であること、

(2) シヨーケースの血痕等の付着位置、態様も、前記のとおり、一定の中心点から放射状に飛散したことを示しているものがあり、その中心点は、別紙図面のほぼ×地点付近であり、その余の血痕等もほとんどが右中心点から放射状に飛散して付着することが可能な位置に存在すること(前記1(一))、

(3) 前記キリム、じゆうたん、ピータイルの各血液反応箇所は、シヨーケース等の前記血痕付着状況などからするといずれも当時の配置で同一場所付近に集中して重層的に存在していたと見るのが自然であること(前記1(二)~(四))

などの点に照らすと、これらの血痕や人血等は、同一の機会に「無盡蔵」店内で付着したものと推認でき、これらが同店外で偶然、別個に付着したものとは到底認め難い。

3 まとめ

以上に述べた本件当時「無盡蔵」に存在した物に見られる血液付着状況は、別紙図面中のほぼ×印を中心とする付近で、少なからぬ量のB型人血が飛散し、あるいは流出した事実を明確に指し示しているものである。

そして、これに加え、

(一) 「無盡蔵」は昭和五一年から昭和五七年二月下旬まで長尾が経営し、同人と被告人の二人だけが同店内で稼働してきたものであること(証拠略)、

(二) 長尾の血液型はB型であり(証拠略)、被告人の血液型はA型であること(証拠略)、

(三) 昭和五一年以降、「無盡蔵」店内で他の顧客や同業者等がこのように大量の出血を伴う傷を負つたならば当然に被告人も承知しているはずであるところ、被告人にそのような心当たりもないこと(証拠略)

などの事情を考え合わせ、かつ、前記のとおり長尾が二月二四日夕刻ないし二七日朝までの間に、その身に思いがけぬ異変が生じて突然行方不明となり今なお姿を見せないと認められる状況をこれに重ね合わせれば、「無盡蔵」店内に見られた右各血痕・血液反応は長尾の血液によるものであり、かつ、同人が右の二月下旬ころ、「無盡蔵」店内において相当量の出血を伴う傷を負わされるような攻撃を受け、それが原因でそのころ死亡した事実が十分推認されるものと言わなければならない。

第三自白以外の証拠による検討(II)―被告人が犯人であるとの認定について

一  これまでに指摘した事実の指し示すもの

前記のとおり、長尾は二月二四日夕刻から二七日朝までの間に「無盡蔵」店内において攻撃を受け、多数の血痕等を残して死亡するに至つた事実を十分推認することができるところ、これに加え、

1 前記のとおり、そのころ「無盡蔵」は、経営者長尾と従業員である被告人の二人きりで営まれていたものであること(前記第二の二3)、

2 前記二月下旬の時期に被告人が長尾より遅く出勤したり、あるいは同人より早く帰つた日は一日もない旨述べていること(証拠略)、

3 その間被告人は、昼食や使い走りなど短時間の外出はしているものの、概ね店内で働いていたこと(証拠略)などを考え合わせると、当時長尾と同店内で二人きりになる機会が最も多かつたのは被告人であり、被告人以外の者、例えば、不意の闖入者、同業者あるいは顧客などが被告人に知られず長尾を殺害することは極めて困難であつて、仮にこれらの者が被告人の短い外出時間中などに長尾を殺害し得たとしても、その死体や店内の血痕等の犯跡を後に被告人に全く気付かれぬように処分することはその必要がなく、また、そうすることはほとんど不可能と言うべきである。即ち、他の何者かが被告人に全く気付かれぬように長尾を同店内で殺害した場合を敢えて想定してみると、被告人の帰宅後、あるいは出勤前に、長尾を同店に呼び出し、あるいは同人が被告人に知らせずに同店に何らかの用事で赴いたところに侵入して、同人に、相当量の出血を伴い、血液が前記のように飛散する方法で攻撃を加え、体格のよい同人の死体あるいは重傷の同人を梱包するなどして誰にも気付かれぬように同店内から運び出し、また、血痕等の証跡も、被告人に気付かれぬ程度まで消去するという長時間を要し、かつ容易でない態様の罪証隠滅の処置を被告人が出勤して来るまでの間に完了しなければならないわけである。従つて、通常の盗犯や、長尾の動静、店内の状況等をよく知らない者の犯行とはまず考えられず、長尾の動静や店内の様子を知悉している者が周到な準備のうえ行なう場合が一応考えられるものの、そうであれば、毎朝掃除をしている被告人に発見される危険を犯して敢えて同店内を犯行場所に選定すること自体不合理であるうえ、殺害の方法も多数の血痕等の証跡が生ずる可能性のある方法を選ぶのは全く不自然と言うほかない。更にまた、そのように、長尾と親しく、同店の状況に通じている者であれば、六年以上長尾と行動を共にしてきた被告人に全く心当たりがないというのも不可解と言うべきである。もとより周到な計画的犯行であつても、予想外の事情で意外な態様となることもあり得るが、そのような場合を考慮に入れても、前記の諸事情に照らすと、被告人以外の者が被告人の協力・関与を得ずに長尾を殺害し得る可能性は非常に乏しいものと言わざるを得ない。

しかるに、被告人は、二月下旬ころのかかる異変の痕跡につき何ら気付かず、平常通り「無盡蔵」の経営を続けていたと述べるところは、もし犯行に関与していないとすれば、誠に不自然である。

結局、右犯行場所と犯行状況自体が、被告人がその犯行に関与していることを強く指し示しているものと言わざるを得ない。

二  長尾行方不明後の被告人の行動の不自然さについて

右推論に加え、以下に述べるような長尾が行方不明になつた後の被告人の様々な不自然な行動を合わせ考えると、被告人の捜査段階における自白の存在を度外視しても、なお長尾に対する前記加害行為は、被告人の関与のもとに犯されたものであることが認定し得ると言うべきである。

被告人は、長尾の消息が不明になつた直後から、同人の死亡を知つていることを前提としなければ到底理解し難い以下のような数々の不審な行動をとつている。

1 長尾行方不明直後の多額の支出について

(一) それまでの困窮状況

被告人は、一月以降、長尾から貰つていた給料以外の金員の支給を受けられなかつたため、一月は妻秋代に対する月三六万円の仕送りもできず、二月ころには経済的に逼迫していたと認められる(証拠略)。即ち、被告人は一月二一日、妻秋代から逆に現金五〇万円を借り受けたり(証拠略)、そのころ林恵美子から二~三〇〇〇円ずつ二、三回借りたりした(証拠略)ほか、割賦払債務の支払を以下のように遅延したりしている。

(1) 二月二日が支払期限のステレオプレーヤー購入代の割賦金につき二万五三〇〇円の支払遅滞(証拠略)

(2) 二月六日支払期日のステレオスピーカー二本購入代の割賦金につき一万五三〇〇円を支払遅滞(証拠略)

(3) 昭和五六年一一月一四日、一二月一四日及び昭和五七年二月一四日各支払期日の外国製自動車購入代の割賦金につき各四万八二〇〇円の支払遅滞(証拠略)

(4) 昭和五六年一二月分及び昭和五七年一月分の日本信販に対する割賦金につき、それまでも隔月くらいで一五ないし一七日程度の支払遅滞はみられたものの、特にこの時期いずれも一か月以上の支払遅滞(証拠略)

これらは、いずれも、当時の被告人の困窮状況を如実に示すものである。

(二) その後三月六日までの収支

しかるに、被告人は、二月二五日以降、突如として「無盡蔵」の店の金に手をつけ、あるいは長尾から奪つたとしか説明のつかない多額の金員を支出し始めている。同日以降、「無盡蔵」が有限会社東洋館自由ヶ丘店からテイフアニーランプ等の代金として二〇〇万円を入手する前日の三月六日まで、被告人及び「無盡蔵」の金銭収支関係は、判明している限りでは以下のとおりである(証拠略)

(1) 入手金員

<1> 二月二四日、竹田昌暉から受領した一〇万円―店の収入(証拠略)

<2> 二月二五日、小山田佳穗から受領した三五万円及びじゆうたん代八万円(但し小山田の供述によればじゆうたん代は三万ないし五万円)―いずれも店の収入(証拠略)

<3> 三月一日ころ、新井憲一から受領した一八万円―店の収入(証拠略)

<4> 二月末ころ樋口ヤス子から受領したエスカイヤ家賃二〇万円―長尾の収入(証拠略)

以上合計九一万円であり、仮に、当公判廷において被告人の主張するとおり、二月二四日支給されたという二月分給料等三六万円と三月中の支払日不明な小山田からの売買代金三〇万円を加えたとしても合計一五七万円に過ぎない。しかも、右収入の内一二一万円は店あるいは長尾の収入であつて、被告人が勝手に処分することが許されない金員である。

(2) 支出金員

これに対し、同期間内における支出は、

<1> 二月二五日、妻秋代への送金二八万円―被告人の個人的支出(証拠略)

<2> 同日、吉沢ガレージ駐車料金二万円―被告人の個人的支出(証拠略)

<3> 同日、大信販へのクレジツト代金四万八二〇〇円―被告人の個人的支出(証拠略)

<4> 同日、ハイエース月賦代金三万一〇〇円―店のための支出(証拠略)

<5> 同日、東京燃料(出光駐車場)駐車代三万円―店のための支出(証拠略)

<6> 同月二六日、ケルンオートモーチブBMWサービスに外車へのターボ取付前払金四五万円―被告人の個人的支出(証拠略)

<7> 同日、日本信販へのクレジツト代金六万円―被告人の個人的支出(証拠略)

<8> 同月二七日、マンシヨンオークス家賃七万五〇〇円―被告人の個人的支出(証拠略)

<9> 同日、横田ビル長尾方家賃一〇万円―長尾のための支出(証拠略)

<10> 同月二八日、妻秋代に交付一五万円―被告人の個人的支出(証拠略)

<11> 三月一日、「無盡蔵」賃料等二〇万一二三〇円―店のための支出(証拠略)

<12> 同月二日、ビクターローンへのクレジツト代金二万五三〇〇円―被告人の個人的支出(証拠略)

<13> 同月三日、妻秋代への送金二三万円―被告人の個人的支出(証拠略)

<14> 同月四日ないし六日、北澤順造への支払い三三万円―店のための支出(証拠略)

<15> 同月五日、テニス練習費三万六〇〇〇円―被告人の個人的支出(証拠略)

<16> 同月六日、セントラルフアイナンスへのクレジツト代金三万六〇〇円―被告人の個人的支出(証拠略)

以上合計二〇九万一九三〇円にのぼつている。しかも、この間の個人的支出は合計一四〇万六〇〇円とその個人的収入を少なくとも約一〇四万円も上回つているものであり、特に二月二五日と二六日の両日のみで既に八五万八二〇〇円の個人支出をなしているところをみると、被告人は長尾の行方不明直後の段階において、既に店の金に手をつけたと考えざるを得ない(この間の個人的収入は被告人の供述するとおり二月分の給料等が支払われたとしても三六万円に過ぎない。)。

さらに三月六日までの前記期間中の総収入額と総支出額とを対照してみると、被告人は入手した現金額を少なくとも五二万一九三〇円も超過する支払をなしており、しかも被告人は当公判廷においてその出所を説明し得ないのであつて、右支出金の出所は、被告人が長尾殺害直後から手をつけたと捜査段階において自白するところの同人の貴重品入の中にあつた一〇〇万円をもつてはじめて合理的に説明し得るものと言わなければならない。

被告人のかかる店の金員に対する着服・費消行為は、店の後継者となる希望を持ち、主人の帰りを待つ従業員として到底なし得るものではなく、結局、被告人が、既にこの段階において、長尾の行方不明が単なる一時的なものではないことを明確に知悉していたことの証左と考えざるを得ない。

2 被告人の三月七日以降の金員支出状況

被告人は、三月七日以降も、「無盡蔵」の商品を売却したり、長尾の預金口座から預金を払い戻すなどして多額の現金を入手し、その後同年九月末までの半年余りの間に、後記大理石レリーフ代九〇〇万円のほかに一三〇〇万円以上に及ぶ多大な金員を自己の外車の購入費、遊興費、二人の愛人に対する手当等に費消し尽くしている(証拠略)。その若干の例を挙げると、

(一) 前記テイフアニーランプ代二〇〇万円の入金があつた直後である三月七日及び一四日には外車BMW購入のため計二七三万円(証拠略)

(二) 五月半ばと八月末にそれぞれ自動車部品購入代金として計七九万三六〇〇円(証拠略)

(三) 七月にバリ島旅行の費用として計三五万八〇〇〇円(証拠略)

(四) 五月から九月までの間に、遊興飲食費としてクラブ・フオンテンブロー、パブレストラン・ころつけ及びバー・レモンクラブに計一三四万円余(証拠略)

(五) 五月二二日、クラブホステスをしていた根本麗子に一〇〇万円貸付け(証拠略)

(六) 妻秋代への送金毎月約三六万円、愛人林恵美子への生活費毎月約二〇万円、愛人大西淳子への手当六月から毎月三〇万円、以上の九月までの合計が約四九一万円(証拠略)

など、その浪費状況は店主の単なる行方不明の間に店の営業を預かる従業員の到底とり得る態度ではない。

(七) また、被告人は、三月中旬には、古美術商エリー・サフアイからペルセポリスの大理石レリーフを勧められるや、これを自己の為に購入し、転売してその利を得ようと考え、判示第二に記載の預金払戻の犯行をし、その内九〇〇万円を二回にわけて主に右レリーフ代金としてこれをサフアイに支払つている。

この点につき被告人は、右レリーフ購入及び代金支払いの点は認めながら、サフアイへの九〇〇万円支払の趣旨は昭和五六年一二月に長尾が購入したアケメネスの銀皿や水晶の獅子等の代金である旨弁解するが、この点は被告人自身捜査段階において明確に否定しているうえ(証拠略)、仮に被告人が当公判廷において供述するとおりその支払趣旨が当時さほど明確にされていなかつたとしても、かかる多額の支払債務を負担することは店主である長尾に無断で被告人の決定し得るところではなく、このような行為自体が店の金員着服意図をも推認させるものであるから、店主の単なる行方不明の間にその営業を預つていた従業員の行為としては甚だ不自然と言わざるを得ない。

また、被告人は、当公判廷(一〇、二二及び二三回)において、右レリーフは店の商品として店の利を図るために購入したものであつて、被告人の個人的利益のため入手したものではない旨弁解するが、この点については次の事実が認められる。

(1) 被告人は、右預金引出前の四月四日ころ、このレリーフ転売による利益として見込んだ約四〇〇〇万円の入金を当てに、不動産会社に籍を置く川崎浩に対し、四〇〇〇万円程度の土地を被告人の自宅用に購入したい旨その斡旋方を依頼している(証拠略)。

(2) 一一月上旬、「無盡蔵」を閉店してその財産管理の一切を引き継ぐに際し、被告人は、長尾の従兄弟から依頼を受けて、その財産管理をすることとなつた吉冨に対して、右レリーフの存在を隠してこれを引き継がず、かえつてそれ以前の九月一三日、林恵美子に対し、処分して生活費に充ててよい旨告げてこれを引渡し、同女の弟林英樹方にこれを隠匿、保管させたままにしておいた(証拠略)。

これらの事実によると、右レリーフは被告人が自己の利を図るために購入したものと認められる。

3 長尾の仏具類、愛用品等の処分

被告人は、五月以降、長尾方居室内の仏具類、同人の愛用品等、同人の財産を以下のように次々と処分し、一〇月二二日吉冨に管理が引継がれるまで同室内を荒らし放題にしていたことが認められる。

(一) 被告人は、長尾の亡母の位牌が安置されていた厨子、ろうそく立て二本を長尾宅から持ち出したうえ、五月二二ないし二三日ころ、古美術商川辺宏に対し二〇万円の指値で売却処分方を依頼し(証拠略)、結局、八月七日には、東洋館自由ヶ丘店に対し、これを代金わずか一万円で売り渡した(証拠略)ほか、九月一六日には、長尾が母親の位牌をまつるのに使つていた鉄鐘(証拠略)を古美術商平本邦夫に対し三万円で売却した(証拠略)。

(二) 六月下旬ころ、同室内にあつた長尾のカラーテレビ、ビデオデツキ、チユーナーを愛人大西淳子に無償で与えた(証拠略)。

(三) 六月下旬ころからは、長尾方居室内に同業者を請じ入れて、「長尾は帰つて来ないかもしれない。帰国するまでに全て処分するよう言われている。」などと述べながら、長尾方の同人の衣類が入つていた整理たんすを、その中身をその場に投げ出して売却したほか、飾棚、テーブル、ライテイングデスク等をそれぞれ同業者らに売却して処分した(証拠略)。

被告人は、この点につき、横田ビルの家賃がもつたいないので、長尾宅の荷物を整理して倉庫へ移そうと考えたためである旨弁解するが(証拠略)、その後被告人が長尾宅の整理に着手した形跡は全くなく、その行為が店主の行方不明後わずか三ないし六か月の間になされるにしては常軌を逸していることに照らしても、その供述は措信し難い。

(四) 被告人は、六月下旬から七月中旬ころの間に、以前より長尾が好んで身に付けていたラピスラズリの猿面のペンダント(証拠略)を顧客小山田佳穗に「もう親父さんは帰つて来ないから売つてもいいよ。」などと言つて売却した(証拠略)。

(五) 更に、被告人は、長尾方居室内で前記厨子から取り出した長尾の母の位牌などを裸のままたんすの一隅に雑然と置き、床一面に新聞紙、書類等を散乱させ、ベツドの上に背広、オーバー、ワイシヤツ等を積み上げるなど、長尾方を荒らし放題の状態にしていた(証拠略)。

被告人の右各行動は、誠に常軌を逸したものであつて、長尾がもはや永久に帰宅しないことを知つていたと考えなければ、到底理解し難いものである。

4 長尾の行方についての同業者らへの説明の不自然さ

被告人は、長尾が行方不明になつた後、同人が店に出ない理由について、同業者や顧客らに対し、三月初めころから「アメリカに行つた。」「フランスに行つた。」とか「温泉に行つた。」などと次々と適当に話していたが(証拠略)、「親父さんはもう帰らない。」(証拠略)、「マスターはもう戻らない。」、「アメリカで殺されているんじやないか。」(証拠略)などと長尾の死亡をにおわせるような不自然な説明もしている。

5 捜索願提出の遅延と長尾の親族への不連絡

被告人は、本来ならその立場上、他人の助言を待つまでもなく、行方不明後、日を置かぬうちに長尾の家出人捜索願を提出してしかるべきであるのに、長尾の安否を気遣つた小松茂美らから再三にわたり家出人捜索願を提出するよう勧められたにもかかわらず(証拠略)、一か月以上もこれを放置し、四月一日に至つてようやく池袋警察署に右捜索願を提出した(証拠略)。

また、被告人は、長尾に従兄弟がいること及びその居住先を知つていたにもかかわらず、長尾の行方不明後、右親族に対しその事実を全く通知せず、かえつて七月上旬には同人方に長尾名義でメロン一個を送つて、いかにも長尾が健在でいるかのように装つた(証拠略)。

これらの事実によると、被告人が長尾の行方不明の事実が判明することをおそれ、殊更、その発覚を防止しようとしていたことが認められる。

以上のように、被告人は、長尾が行方不明になつた後、店の営業を一時的に預つていた店員としては甚だ不自然な言動・振舞を数々なしてきたものであつて、このことは、被告人が、単独であるいは他の者と共謀して長尾を死に致したため、同人がもはや帰らぬことを確実に知つていたものであることを強く推認させるものであると言わなければならない。

三  被告人のブーツに付着していた血痕について

被告人から一二月一六日に任意提出されたブーツ二足について、血液の付着の有無の鑑定が行われたところ、そのうちの一足に、その左足底部かかと前の土踏まず部分に半米粒大の赤褐色の血痕様のものの付着が見られ、ルミノール試験を同ブーツについて実施したところ、右血痕様のものがある土踏まず部とフアスナー下端部付近とが陽性反応を示し、更にこれらの反応部分にロイコマラカイト緑試験を実施したところ右血痕様のものとフアスナー下端部から土踏まず部横にかけて陽性反応を呈し、人血証明検査の結果、かかと前部分は人血であり、フアスナー部分は人血か否か不明と判定され、右人血の血液型は判定できなかつた(証拠略)。

右ブーツの人血付着については、次の1ないし5の点から、検察官主張のとおり、被告人が長尾を死に致した犯人であると疑わせるひとつの間接事実としての性質を有することは否定できない。即ち、

1 被告人は二月当時前記二足のブーツを所有し、雨や雪の日にはブーツを履くことが多かつた(証拠略)。

2 本件犯行日と検察官の主張する二月二四日の天気は「雪のち雨のちみぞれ」であつた(証拠略)。

3 右人血反応が認められた血痕は、前記鑑定時靴底裏面の土踏まずかかと寄りの中央部に、半米粒大に付着していたものであるから、比較的発見が困難なものと言え、その付着を被告人が看過することも十分あり得ると考えられるうえ、右人血付着後、右ブーツが相当回数使用され、かつ相当期間経過したとしても、右の部位にこの程度の人血が残存していることは不自然とは考えられない。

4 前記認定のとおり、長尾に対する加害行為の現場である「無盡蔵」店内には相当多量の血液が流出・飛散していたものと推認されるところ、右両反応箇所ともに、血液が大量に流出した場所を歩いた際に血液が付着しても不自然ではない部位であると考えられる。

5 被告人は右人血付着について他の心当たりはないと本件公判において述べている(証拠略)。

しかし、何分人血反応の認められた血痕は半米粒大の極小さいもの一個であり(じゆうたんに流出した血を踏んだ際跳ね上がつて付いたものとすれば、もう少し多量に付くのではないかとも疑われる。)、また、二月二四日に被告人がこのブーツを履いたという確たる証拠もなく、平素このブーツを履いてどのようなところを歩いたかについても特定のしようもないこと等を考慮し、当裁判所としては、事実認定の慎重を期するため、ブーツに人血の付着している点は、敢えて被告人に対する有罪認定の間接事実としては考慮しないこととする。

四  まとめ

以上のとおり、血痕等から認定される本件犯行場所及びその状況(前述一)に加え、長尾行方不明後の被告人の不自然な行動の数々(前述二)を合わせ考えれば、長尾を死に致した犯行に被告人が関与していることは、動かし難いものと言うことができ、従つて、被告人が二月下旬、単独であるいは他の者と共謀し、「無盡蔵」店内で長尾を死に致し、あるいはのちに死に至る傷害を与えたという事実は、その限度で、被告人の捜査段階における犯行自白以外の証拠のみをもつてしても十分認定し得ると言うべきである。

第四捜査段階における被告人の自白の信用性について

被告人は、本件捜査段階において、捜査官に対し、自己が二月二四日「無盡蔵」店内において長尾を殺害したことを始めとして、その犯行状況、その後の死体処分及び犯跡隠蔽状況等につき詳細な自白をし、その調書類が当公判廷において、弁護人の同意を得て取り調べられている。

当裁判所は、その自白に至つた経緯、その後の自白継続状況、自白の内容とその客観的事実との合致、その具体性等を検討して、被告人の自白は基本的には信用性が高いものであると判断した。

以下に、その信用性判断の過程について詳論する。

一  自白状況

1 自白に至るまでの経緯

被告人は、一二月四日、横領の被疑事実で逮捕され、そのわずか四日後である一二月八日、長尾殺害の事実を自白するに至つているが、その自白に至つた状況は概ね次のとおりであると認められる。

被告人は、一二月四日横領の被疑事件(判示第二の預金払戻金をレリーフ代金の支払にあてた事実)で逮捕後、横領と併行して殺人についての取調べを受け、その間、まず横領事実については、弁解録取時においてこれを店の支払のための行為である旨述べてその着服事実を否認したが、その後の取調べからはこれが自己のための横領行為であつたことを一応認め、一方、殺人については、黙して何も語ろうとしなかつた。ところが、一二月八日午前九時ころから取調べを始め、入浴をはさんで身上関係の調書をとつていた際の昼間、それまで長尾と知り合つたのはアルバイトニユースによる店員募集の記事を見てであると言い張つてきた被告人が、長尾と知り合つたのは新宿のホモ嗜好者の集まるバー「エル」においてである旨の供述を始め、その際、同人との男色関係についても暗にこれを認めるかの如き供述をした。更に同日夜、取調官であつた寺尾正大が、「殺人犯の家族で生活に困る人もいるが、警察の方で生活保護の手続をした例もある。心配ならそういうこともできるんだから話したらどうだ。」と説得した際、ほかには特に自白を強要、誘引するような状況も存しなかつたにもかかわらず、被告人はしばらく黙していた後、突然机の上に泣き崩れ、その後引き続いて、「二月二四日長尾が『無盡蔵』店内で自分に肉体関係を迫つてきたのを拒んだところ詰られたため激昂し、鉄製ボルトで同人の頭部を数回殴打して殺害し、死体をビニール、じゆうたん、黄色い布でくるんでビニールロープで縛り、これを奥座敷に隠したのち、二月二五日夜ハイエースに積み込み、四、五日以上経つてからこれを荒川へ投棄した。」旨の自白をし、その旨の上申書を作成するとともに、殺害場所についての図面も作成したうえ、その日のうちに調べを終わつて就寝した(証拠略)。

右自白に至る経緯を見ると、次の(一)ないし(六)のことが認められる。

(一) 自白に至る状況が自然であつて、取調官が被告人に対し自白を強要し、あるいは虚偽の事実を供述させたことを窺わせる状況は存しないこと、

(二) 逮捕後五日目という比較的早い時期における自白であり、それまでの期間内に被告人の身上、経歴、横領の事実関係等、広範囲な事項についての取調べが行われているほか、更に検察官送致、検察官による弁解録取、裁判官による勾留質問手続等が当然になされていることなどを考え合せると、取調官としては被告人に対し、この間、殺人事件についてさほど長時間の追及をなす時間的余裕はなかつたものと窺われること(弁護人は、この点につき、九月二六日以降被告人は警視庁捜査第一課及び第二課での取調べを継続して受けており、実質上の取調べはそのころから続いていた旨主張するが、被告人が一二月四日逮捕される以前に第一課の調べを受けたのは、九月二六日及び二七日の両日のみであり、しかも二七日は一応被告人が犯人でないらしいとの見方に立つての事情聴取であつて、その後の第二課の調べにおいては専ら贈収賄関係の事実が取り調べられていた(証拠略)のであるから、殺人の実質的取調べは結局九月二六日の一日と、その後の一二月四日以降に始まつたのであつて、弁護人の右主張は失当である。)

(三) 被告人は右自白に際し、突然机の上に泣き崩れるなど(被告人も当公判廷においてこれを認めている。)、その供述時の態度が極めて迫真性に富んでいたこと、

(四) 被告人は同日まで、長尾と知り合つた経緯につき、そのホモバーでの男色関係を隠してきたにもかかわらず、その日その事実を捜査官に話す心境になり、同日更にこれに引き続きなされた自白であること、

(五) 自白開始後、短時間のうちに、その殺害状況、死体処分状況、自白するに至つた動機など、多岐な事項にわたつて一気に供述がなされ、図面を作成したほか、行為態様や犯行時及び犯行後の心境などについても具体的に供述していること、

(六) しかも、その際、その後の一両日中の捜査で直ちに虚偽と判明したような荒川への死体投棄の供述も、被告人が供述するそのままに、上申書に作成されていること

右自白の時期、自白に至る契機、供述の経過、供述している事項などに照らすと、被告人のなした右自白は任意性は勿論信用性も高いものと言うべきである。

この点につき弁護人は、右自白は虚偽であると主張し、その虚偽の自白をした理由として、被告人はスポーツの後遺症で尾底骨が曲がつており、長時間の着座に苦痛を覚え、特に一二月六日、七日は下痢症状で体力、気力とも弱まつていたところへ、連日朝八時から夜一一時ころまで取調べを受け、「お前が殺した、お前が殺した。」と迫られたうえ、「自白しなければ四、五年出られないが、自白すれば接見禁止中だが妻と会わせる。」と言われたからであると主張し、被告人も本件公判における終盤段階において、右主張に添う供述をしている。しかしながら、被告人は、第三回公判の時点では、自白した理由を弁護人から尋ねられた際、「何度も取調べられて辛くなつた。体の調子もよくなかつた。頭の中も混乱し、妻子のことも気になつた。このまま釈放されても白い目で見られるであろうし、警察が生活保護のことも全部やつてくれると言つていたので自白をした。」という程度に供述するのみで、これによれば虚偽の自白をなさざるを得ないような切迫した状況は窺われず、しかも「調べ中、暴力を振われたり、脅迫されたりしたこともない。」旨明言していたのであつて、被告人の当公判廷における終盤段階での供述は信用することができない。

2 自供開始後の被告人の供述状況

(一) 捜査官に対する自白維持状況

被告人は、初自白後、一二月二三日有印私文書偽造、同行使、詐欺罪で当庁に起訴され、一二月二七日東京拘置所に移監され、翌昭和五八年二月七日本件殺人事件で逮捕され、同月二八日殺人罪で起訴されるまで、約三か月間にわたり捜査官の取調べを受けているが、その間、殺人、死体遺棄で逮捕され送検された同年二月九日の弁解録取に際して検察官に「話したくない。」と答え、同日、勾留質問の際裁判官に「やつていない。」と答え、更に、殺人による起訴(同月二八日)の三日ほど前ころ、検察官に対し一時否認したのみで、その他は一貫してその自白を維持している(証拠略)。

被告人はこの点に関し、本件公判終盤において、「警察に何回かやつていないと話したけれども聞いてもらえなかつた。」とも供述し(証拠略)、右否認以外にも何度も取調官に対し犯行を否認したかの如く弁解する。しかしながら、右弁解は、被告人自身第三回公判において、「最初四日間くらいは否認していたが、一度やりましたと言つてからは、起訴の三日くらい前にやつていないというまでは否認していない。その間はずつと供述調書に書いてある通りの供述をしていた。」と述べるところと明確に相反するものであり、初自白後警察に対し犯行を否認したことは一度もなかつたという寺尾証言(証拠略)にも反するものであつて、信用できない。

なお、弁護人は、前示の裁判官あるいは検察官に対する否認の事実を指摘して、その前後の自白の信用性を争うけれども、この点に関しては次の事情が指摘できる。

(1) 被告人が前示横領の被疑事実についても、当初弁解録取の際犯行を否認した状況等に鑑みると、被告人は、最初の面談の際には、相手が検察官であれ裁判官であれ、取り敢えずその犯行を否認して様子を見る態度に出たものと解され、一旦否認した後に自白すること自体は、格別、不自然なことではなく、この一事をもつて直ちに、その前後にも否認していたことが推認されたり、後の自白の信用性が疑われるものでないことは明らかである。

(2) また、右殺人事件での起訴の直前段階における否認についても、それが間もなく翻えされ、結局、否認をしたがそれは虚偽であつた旨の調書のみがとられていると窺えること(証拠略)、当該時期より後の被告人の検察官に対する供述調書(証拠略)がいずれも全面的自白あるいは自白を当然の前提とした内容であること

などの事情に照らせば、右否認の程度も一時的な、軽い程度のものにとどまるものと窺われる。

被告人は、当公判廷において、右のようにその自白を維持した理由につき、「適当に言つておけば取調べも楽だし、別に証拠もないから大丈夫という気持が強かつたからである。」旨供述するけれども(証拠略)、他方では、「重ければ強盗殺人で死刑、単純殺なら一〇年くらい、カツとしてということなら三ないし五年くらいと考えていた。」(証拠略)というのであるから、右理由は、本件のような殺人事件で取調べを受ける被疑者の心情として到底納得し得るものではなく、しかも当時、一二月末の段階で、弁護人から「そんなにやつた、やつたという調書ばかりとられていたら本当にやつたことにされてしまうぞ。」と助言を受け、その自白の重大性を指摘されながら(証拠略)、なおかつ自白を重ね続けているのであるから、その自白の信用性は高いと考えざるを得ない。

(二) 録音テープ、ビデオから窺われる自白状況

被告人が、捜査官の取調べに対し、自発的且つ真摯に供述していることは、一二月二一日における被告人の取調及び自白状況を録音した録音テープ二巻や、被告人が、昭和五八年二月二〇日、犯行を再現している状況を撮影したビデオテープ一巻によつても認められる。

(1) 録音テープ

録音テープは、一二月二一日の被告人の自白状況を、一時間以上にわたつて、捜査官の極簡単な質問をはさみながら、被告人が詳細に犯行状況等を語るに任せ録音しているものであるが、その供述状況には何ら強制、誘導は窺われず、供述内容も具体的且つ詳細であつて、その供述態度も自発的、真摯であり、その信用性を高めるものと言える。

被告人は、その録音状況につき、「警察から、『録音テープをとるから今まで話してきたことを話しなさい。』と言われたので、それまで自白してきたところを話したものである。」旨供述するが(証拠略)、一方では、それまでの調べは、誘導されるまま、その場その場の思いつきで答えてきた旨供述しているのであり(証拠略)、特に捜査官から犯行内容を繰り返し覚え込まされたというのでもなく、かかる詳細な事項をよどみなく、それ以前の自白とほとんど矛盾なく供述することは、自ら体験したものでなければ、容易なわざではないと考えられ、思いつくままに虚偽の自供をし、これをまとめて再現したという被告人の弁解は到底措信し難いものと言わざるを得ない。

(2) 犯行再現状況のビデオ録画

また、前記ビデオテープは、四七分間(うち五分間休憩)にわたり、捜査官から全くと言つてよいほど示唆を与えられることなく、被告人が、実に手際よく、よどみなく、犯行を再現する状況を録画したものであつて、その間被告人は、ほとんどとまどつたり、思いあぐねたりすることなく、時に仮装被害者の倒れた位置について自発的に訂正したり、自問自答するなどしながら犯行時の自己の行動を再現して見せているものである。しかも、被告人がそれまで供述してきたところ、特にその特異な死体梱包の手順とそれによる死体の状況とが、被告人の手により、誠に自然に、その自白通りに素速く、手際よく再現されていつたという点は、被告人の自白が単なる想像によるものではなく、具体的経験に裏打ちされたものであることを窺わせるものである。弁護人はこの点につき、仮装被害者の足が、被告人が自白した形態よりも跳ね上がり、自白どおりの再現ができなかつた旨主張するけれども、この点については外形上さほど重大な相違点とは認められず、また、その梱包方法に重大な支障をきたすようなものではなく、更に別人である生きた仮装被害者を用いる以上その個体差、被告人の手加減等による影響を免れないことに照らしても、不自然な相違とはいえない(なお、(証拠略)によると、被害者についても多少の足の跳ね上がりは窺えるものである。)。

被告人は、その犯行再現の経緯につき、「ビデオの前でそれまで自白してきたことをやつた。縛り方は、大分前、調べ室で一度やらされていた。」「一度、女性を縛つたことがある。」旨述べるけれども(証拠略)、それにしても、その手つきは誠に鮮やかで、その程度の経験から、複雑な右梱包の全過程にわたつてここまで詳細、かつ確実にしかも、手際よく、迅速に再現できるものとは考えにくい。

従つて、これらの供述、犯行再現状況は、被告人の自白の信用性を高める一要素と考えられるものである。

(三) 捜査機関以外の者に対する供述状況

被告人は、昭和五八年二月一二日あるいは一七日ころ、弁護人に対しても、接見の際、自己が本件の犯人であることを認めており(証拠略)、この点も被告人の自白の信用性を高めるものである。

なお、被告人は、その後東京拘置所に移監されてから弁護人に対して自己の犯行を否認するに至り、また、面会に来た家族の者にもやつていないと話していた旨供述するが、

(1) 自己が犯罪者であるという事実は、一般的に、自ら話しづらい事柄であり、

(2) 被告人には、安易に嘘をついてその場を繕おうとする見栄張り的な傾向が窺われること(証拠略)

などを合わせ考えれば、被告人が一方で捜査官に対し自己の犯行を認めつつ、他方で弁護人や家族にこれを否認していたとしても、特に不自然なことであるとは言えない。

右に認定した被告人の自白するまでの経緯、自白時の状況及びその後の自白状況等に照らせば、被告人の捜査段階における自白は、かなり信用性が高いと言わざるを得ない。

二  自白内容

更に、被告人の捜査段階における自白内容を検討すると、本件ではいわゆる秘密の暴露に準ずるような重大事実についての自白を含む、多くの客観的証拠との一致点が認められ、この点においても、被告人の自白は信用するに値するものと考えられる。

1 「秘密の暴露」に準ずる事実の自白について

本件は、以下に述べるように、被告人の自白から、はじめて本件犯行場所が「無盡蔵」店内であることが捜査機関に発覚し、これに引き続いて、前記認定のシヨーケース等の各血痕等が発見された事案であり、右の点は、被告人が、当時未だ捜査機関に発覚していなかつた事実を誘導されることなく自白し、それに基づく捜査の結果としてその自白の裏付けが得られたものとして、被告人の自白に十分な信用性を付与するものである。

(一) 店内犯行説に至る捜査経緯

警察官において、本件が「無盡蔵」店内における犯行であると結論付けられるまでに至る捜査経緯を概観すると、次のとおりである。

本件は、九月一日から始まつた、犯罪の被害者になつている可能性のある家出人捜索月間の活動の一環として、長尾の所在捜索からその捜査が始まつた事件であり、捜査当局は、当初、多数のガラス張りのシヨーケース等の並ぶ「無盡蔵」店内が、本件犯行現場足り得るという心証を持つていなかつたため(証拠略)、一一月九日、同店内の家具、商品等のほとんどが、「無盡蔵」の閉店、整理に伴つて、横田ビルの長尾宅等に搬出されるに任せたうえ、その後一一月一三日には、同店内の実況見分が行われ、別紙図面中実線等で囲まれた範囲からルミノール試験陽性反応の結果が現れたにもかかわらず、その範囲が同図面記載のとおり広範囲に及ぶものであつたこと、その直後に行われたロイコマラカイト緑試験の結果が前示のとおり(第二の二1(三))検査不能に終わつたことなどから、右ルミノール反応は薬品等の影響ではないかと速断し、その誤認によつてなお店内保全措置をとらぬまま、結局一二月一日から八日にかけて施工された「無盡蔵」の改修工事により、同店内の天井・壁のクロス、床のじゆうたん、ピータイル等がそれぞれ張りかえられて、ピータイルの破片の一部を残してこれらが、廃棄されるに任せてしまつたものである。

右のように、犯行状況解明の重要な手がかりであり、知られていれば当然保全されたはずの犯行現場が、かくも無頓着に解体され、その証拠品等も捨て去られている状況に照らせば、捜査当局が、少なくとも一二月八日の時点までは、犯行現場が「無盡蔵」店内であるとの心証を全く抱いていなかつたことは、明白であると言わなければならない。従つて、店内が犯行場所であるとの点は、一二月八日、被告人が自白したことにより、はじめて捜査機関に判明した事項と言うことができる。

そして、その後急遽とられた裏付捜査により、犯行当時同店舗内にあつた家具、キリム、ピータイル等の証拠収集がなされ、これらの見分、鑑定等の結果、一二月一五日、横田ビルに保管されていた家具等からはじめて飛沫血痕等が発見され、続いて一二月二三日の検証の際、「無盡蔵」店内に戻された家具等から更に多量の血痕等が発見され、その鑑定の結果、一二月二五日、右血痕は長尾の血液型と同じB型人血と判明したものである(証拠略)。そして、更に昭和五八年一月一一日、犯行場所付近に敷いたとされるキリムから人血反応が認められ(証拠略)、同年二月二八日、同店内床面に貼付してあつたピータイル破片からB型人血反応が認められるなど(証拠略)、様々な形でその裏付けが得られるに至つたものであつて、このような経過に徴すると、自白は、極めて信用性の高いものであると言うことができる。

(二) 犯行地点、犯行態様についての自白について

前記のとおり、被告人の犯行地点及び犯行態様についての自白も、その後の捜査による血痕等の発見から、被告人の供述内容にそのとおり符合する裏付けが得られたものであつて、その自白の信用性を非常に高めるものである。

即ち、被告人は、一二月八日の時点で、既に、本件がボルトによる撲殺である旨自白し、更に、犯行地点として、被害者が倒れ、その血の流れた地点を、店内見取図中に自ら図示しているところ、その後発見されたシヨーケース等の飛沫血痕等の形態及び付着位置は、正にこの自白による犯行状況及び犯行地点と合致するのであつて、かかる事実は本件犯行を自ら実行し、あるいはこれに深くかかわつた者でなければ到底知り得るはずはない。特に、別紙図面中<1>のシヨーケースの飛沫血痕の飛沫基点は、前示のとおりその南東角からほぼ東南東(前面側に約一五度ないし四五度)方向へ約八八センチメートル、高さ床上約二〇センチメートルの地点と認められるところ、これは、一二月八日作成した上申書添付図面において被告人が転倒した長尾の頭部の位置として図示した箇所(別紙図面の×地点の付近)とほぼ合致するうえ、右地点の高さも転倒した人間の頭の高さとほぼ一致するものであり、そして、本件当時<1>のシヨーケースのあつた位置と右地点との位置関係と同様の位置関係に、<1>のシヨーケースに見立てた板と人間の頭部に見立てたヘルメツトを置き、このヘルメツトの上に切痕を入れた雑巾をのせて牛血を浸み込ませ、これを右斜め上方から自白にかかるものと同種のボルト(直径一・五センチメートル、長さ五〇センチメートル)で打ち下ろすという実験を行つたところ、<1>のシヨーケースの前面に見立てた面に、同シヨーケースに見られた血痕とよく類似した飛沫血痕が生じることが明らかにされていること(証拠略)などに鑑みると、被告人の犯行状況及び犯行態様についての自白は、シヨーケース等の血痕等と、細部にわたつて非常によく符合するものと言わざるを得ない。

また、被告人が一二月八日作成した上申書添付図面で、被害者が倒れて血が流れた位置として図示した地点は、じゆうたんがルミノール試験で陽性反応を呈した範囲内に包含され、その後キリムの裏面から人血反応が検出された部分とも近接している(証拠略、なお、右キリムについては表裏同一の形状のものであり、一二月一二日任意提出を受けた段階では床面に敷かれていなかつたものであるが、その一方の面の一角には、店内に被告人が敷く前の洗濯の際、付されたと思われるかなり目立つ紙片と布片がホチキスで留められていることからみて、この面を裏側にして同店内に敷いていたものと推認される。)。

弁護人は、この点につき、キリムの人血反応部分の中心と、転倒時の長尾の頭の部分の位置(証拠略)とが一致していない旨指摘するが、被告人の自白によれば右キリムは、殺害犯行時長尾の流血が直接付着したもの自体ではなく、被告人が右犯行後、じゆうたんの流血を水分をたつぷり含んだ雑巾で拭うなどしたのち、その犯跡を隠蔽するため、その場にあつた血の付いたキリムは捨てたうえ、翌朝まだ水分を含んでいるじゆうたんの上からほぼ同じ場所に敷いたキリムであるとされている(証拠略)わけであるから、人血反応の中心と長尾の頭のあつた位置との間にずれが生じ得ることは容易に推認し得るのであつて、血液反応部分の中心が前記頭部の位置と一致しないことは何ら不自然ではなく、右自白と矛盾するものでないことは明らかである。

更に、弁護人は、一番下のピータイルからはB型人血の付着が認められながら、その上に敷き詰められていたじゆうたんでは血液予備検査であるロイコマラカイト緑試験すら満足に行い得ず、更にその上に敷かれていたキリムからも単に人血反応が認められたのみで血液型が判明しなかつた点を指摘して、被告人の自白に照らして右各結果は不自然であると主張する。しかし、

(1) じゆうたんのロイコマラカイト緑試験が不能となつたのは、前示のとおり(第二の二2(二))、先に噴霧したルミノール試薬中の過酸化水素水が反応した故とも考えられるのであるから、じゆうたんのみロイコマラカイト緑試験が検査不能となつてもいささかも不自然ではないこと、

(2) また、右キリムも前記のとおり右犯行後、じゆうたんの人血を濡れ雑巾でたたいて拭つたのち、まだ湿気のあるその上に敷いたというのであるから、その血液成分の大半は水に流されてピータイル上まで浸透して残存したのに対し、キリムには水で薄められ、じゆうたんに付着したうちの一部の血液が転移したに過ぎないものと考えられるのであつて、その血液型がB型か否か判明しないのも何ら不思議はない。むしろ、キリムの人血反応が、その裏面部分に広くしかもルミノール反応部位と重層的に現れたことこそ、右のような被告人の自供する犯行後の行動と符合し、被告人の右自白の真実性を裏付けるものと言うべきである。

(三) 犯行場所等の自白をした理由に関する被告人の弁解について

被告人は、当公判廷において、犯行場所を「無盡蔵」店内であると自白した理由について、「他に長尾と会う場所が考えられなかつたから。」あるいは「他の場所では殺害方法を思い付かなかつたから。」であるとし(証拠略)、それが店内の血痕等の状況と一致したのは偶然にすぎないと弁解する。しかし、かかる特異な事項につき、被告人が思い付きで述べたところがたまたま客観的事実と符合したなどという偶然の一致が起こる確率はないに等しく、また、捜査官からは、取調べの際、犯行場所につき、むしろ自宅か車内ではないかなどと示唆を受けていながら、被告人は、これに迎合することなく、敢えて店内の犯行である旨供述しているのであるから(証拠略)、捜査官が、当時店内犯行を既に知つていて、被告人にその供述を誘導したものとは、前記の捜査経緯に加えてこの点からも考えることはできない。結局、被告人は、何故に長尾が被害を受けた場所を捜査官より先に知つていたかについて、何ら合理的な弁解をなし得ないものと言わざるを得ない。右の点は、被告人が本件犯行の犯人あるいはその犯行に深く関つた者であることを如実に物語るものと言うほかない。

2 自白と客観的事実とのその他の符合点

更に、被告人の捜査段階における自白は、他にも種々の点で客観的事実と合致する。そのうち主な点を挙げると、次のとおりである。

(一) ピータイルのコンクリート床からの剥離

被告人は、捜査段階において、「長尾を殺害した際、じゆうたんにその血が浸みていたので、その夜、死体を梱包したのち、濡れた雑巾で何度もたたくようにしてその血を薄め、直径一メートルないし一・五メートルくらいをビシヨビシヨにしたうえふきとつた。」旨供述している(証拠略)。同種じゆうたんによる水の浸透状況についての実験によれば、水は周囲によく浸潤し、ピータイルにも水が付着したというのであるから(証拠略)、右自白が真実であれば、当然じゆうたんの下に相当多量の水が浸み込んだものと推認されるところ、この点につき、一二月上旬、「無盡蔵」店舗内のじゆうたん及びピータイルの張り替え作業を行つた磯田正明は、「じゆうたん上に白墨の点線で囲まれた部分は、他の箇所にくらべ、じゆうたんの裏面にピータイルが貼り付いたまま簡単にコンクリート床から剥がれた。これは、じゆうたんの上にこぼれた水か何かが浸透して、ピータイルとコンクリート床との間に浸み込み、その部分の接着剤が弱まつたためと思われる。グラス一、二杯の水をこぼした程度ではこのようなことにはならないと思う。」旨証言している(証拠略)。右白墨で囲まれた箇所とは、前記ルミノール試験に陽性反応を示した箇所であること(証拠略)、右の箇所は、被告人が濡れ雑巾でじゆうたんを濡らした旨自白する位置とほぼ合致すること、被告人に雇用された「無盡蔵」の女店員らは、同所に多量の水をこぼした事実はない旨供述すること(証拠略)に徴すると、右剥離は被告人が水でじゆうたんを濡らしたため生じたものと推認され、この点も被告人の自白を裏付けるものと言える。

また、昭和五七年一一月一三日の実況見分の際、ルミノール試験陽性反応が、南北二三九センチメートル、東西一九七センチメートルとシヨーケースの下を含む広範囲にわたつて別紙図面のように現れた点も、被告人が血液を水で薄め周囲に広く浸潤させたとする自白を裏付けるものであつて、その信用性を高めるものである。

弁護人は、右ピータイルの剥離につき、じゆうたんとピータイルの間の方がピータイルとコンクリート床との間よりも水が浸出し易く、使われている接着剤がいずれも水溶性である以上、じゆうたんとピータイルの間が接着したまま床から剥がれるという離脱の仕方は不自然である旨主張するが、右磯田証言によれば、「コンクリート床とピータイルとを接着する接着剤はその色から判断してピータイルとじゆうたんとを接着する接着剤よりも古いものであり、古い接着剤の方が水の影響を受け易い。」というのであるから、かかる剥がれ方も不自然とは言えないと考えられる。

(二) シヨーケース等の濡れた布でぬぐわれた痕跡

被告人は、「犯行後、シヨーケース等付近の家具の木の部分等を絞つた濡れ雑巾でふいたが血が付いているとは見えなかつたので適当にふいた。」旨供述する(証拠略)。この自白に符合するものとして、別紙図面中<1>のシヨーケースの東側面下部及び<4>の戸棚の上段木枠部には、濡れた布でぬぐわれた痕跡が存する部分があり(前者については血痕は付着していないがルミノール試験の結果陽性反応を呈している。(証拠略))、右自白を裏付けている。

(三) 犯行後の被告人の収支状況

被告人は、「長尾殺害直後、長尾の机(別紙図面<9>)の下に置いてあつた同人の貴重品入れを開けるとその中の封筒内に現金約一〇〇万円が入つていたので、そのとき四、五〇万円をとつた。」旨捜査段階において自白している(証拠略)。前示のとおり(第三の二1(二))、二月二五日以降三月六日までの被告人の金銭収支状況をみれば、支出が収入に比し少なくとも約五二万円超過しており、当時の被告人には他に収入が認められないことからすれば、右超過分は長尾の貴重品入れの中にあつた一〇〇万円の内から支弁されたものと解するほかなく、長尾の貴重品入れの中に現金一〇〇万円があつた旨の前記自白は裏付けがあるということができる。

(四) 長尾のパスポート等の処分

被告人は、「三月二日あるいは三日に、店の貴重品入れの鞄内に入つていたパスポートと手帳を廃棄した。」旨捜査段階において供述している(証拠略)が、現に、「無盡蔵」及び長尾の自宅の捜索にもかかわらず、長尾のパスポートと手帳とは発見されておらず、右供述と符合するものである(新聞の処分についての自白とその裏付については第五の五2で説明する。)。

(五) 「無盡蔵」の車の出入庫状況について

被告人は、捜査段階において、同店の車であるトヨタハイエースの二月二四日ないし二七日の駐車状況につき、「二月二四日は、閉店後、店の前にハイエースを駐車したままであつたが、長尾殺害後、午後九時ころ、長尾の死体の梱包等を終えたのち、同車を出光駐車場に戻した。二月二五日は、閉店後、午後七時半あるいは八時ころ出光駐車場からハイエースを店頭に運び、それまで同店舗の和室(奥座敷)内に置いてあつた長尾の死体を同車内に積み込んで、午後八時あるいは八時半ころ出光駐車場に戻した。二月二六日は、午後五時ころ店を閉めハイエースを持ち出したが、適当な死体投棄場所が思い付かず、自宅マンシヨンの駐車場に止めておき、翌二七日同車で午前一一時ころ出勤し出光駐車場にそのまま駐車しておいた。」旨供述する(証拠略)。この点についても、右出光駐車場では、毎夜概ね午後七時半から八時ころまでの間に、契約車両の駐車の有無をチエツクし、記録していたところ、右記録では、「無盡蔵」のハイエースが二月二七日以降は五月一二日までずつと右チエツク時間に駐車されていながら、特にこの二月二四日ないし二六日は右チエツク時に駐車場になかつたことになつており(証拠略)、前記自白を裏付けている。

(六) 死臭隠滅工作について

被告人は、捜査段階において、「二月二五日から三月七日まで長尾の死体を前記ハイエース内に積載していたため、同車体にその死臭が染みついたので、これを紛らす目的で、三月下旬、ハイエース内に積み込んだベニヤ板の箱で、中に酢、石こう、ガンブルー等のほか生鰺一〇匹くらいを入れ、兜や仏頭の贋物作りをして、強烈な臭いを発生させた。」旨供述する(証拠略)。この点は、前記出光駐車場の所長柴田忠信の「五月一三日午前一〇時ころ、右駐車場の『無盡蔵』の使用場所の隣の借主が、ハイエースからたまらない異臭がすると文句を言つてきたため、合鍵で同車の扉を開けたところ、車内にモルタルかコンクリートを詰めこんだような木箱があり、ものすごい臭いがしたので、被告人に電話を入れたところ、被告人は『たいした物ではない。』旨答えたうえ、同日午前一一時ころやつて来て、ハイエースを運転し信号を無視する勢いで、事務所に挨拶もせぬまま出ていつた。その後同駐車場に右ハイエースが止まつたことはない。」旨の供述(証拠略)及び被告人がその後同車を駐車していた赤羽グリーンハイツ駐車場の貸主の「五月二〇日ころ、ハイエースに悪臭がし、中をのぞくと木箱の上に毛布がかけてあつた。」旨の供述(証拠略)により裏付けられているものである。

なお、この点に関し、弁護人は、じゆうたん、ウコンの布等でしつかりと梱包した被告人の自供通りのような死体から、一〇日間くらい経つただけで車体に付着するほどの死臭が生じることはあり得ない旨主張するが、被告人の供述した梱包方法によると死体の側面は厳重に梱包されているものの上方と下方とは薄いウコンの布で五、六重に巻いたのみであるから(証拠略)、空気の流通性があり、腐臭が車内に漂うことは十分にあり得るうえ、被告人が本件殺人の犯人であれば、死臭等に対して、過度に敏感になる場合も十分考えられることをも勘案すると、被告人が同車に長尾の死体の腐臭が染み付いてとれないと感じたとしても、何ら不自然ではない。

また、被告人は、前記ハイエース内での贋物作りをして異臭を発生させたことについて、当公判廷では、「三月になり長尾がいなくなり、特にハイエースを使う必要もなくなつたので、車を利用して贋物作りをすることにした。腐蝕がよくなると考えて生魚を入れた。うまくいつたので、五月末ころにももう一度作つた。」旨供述している(証拠略)。

しかしながら、被告人の右公判供述は、

(1) 被告人は、以前一〇回ほど長尾から贋物作りを教わつているが、それまで生魚を使つたことは一度もない(証拠略)のに、そのときに限り、全くの思い付きで、殊更に腐臭が予想されるような方法で贋物作りをしたというのは、不自然であること、

(2) 結果的にも、これによつて、ハイエースは、購入代金の割賦返済が毎月なされている段階であるのに、右異臭の付着により、長期間にわたつてその使用不能のやむなきに至つており、それにもかかわらず、被告人が五月末、再度同様の方法により贋物作りをしているというのも(証拠略)、不自然であること、

(3) 右異臭付着の結果、九月までその購入代金・駐車料を毎月支払い、六月には車検料一三万円余を支払いながら(証拠略)ほとんど右ハイエースを駐車場に駐車したままの状態で(証拠略)、商売に支障をきたすに至り、五月二八日から九月五日までの間に一三回借り出し延べ二三日にもわたつてレンタカーを利用せざるを得なくなつているのであり(証拠略)、被告人が、「長尾失踪後、ハイエースを使う必要がなくなつた。」と供述するところ(証拠略)も事実にそぐわないこと

などに照らし、この点に関する被告人の前記公判供述は到底信用できない。

以上若干の点について説示したとおり、被告人の自白は、他の証拠から認められる客観的事実と様々な点で符合するものであり、その面でも信用性の高いものである。

3 自白の具体性

更に、右捜査段階における被告人の自白は実に詳細で、単なる想像によつてはなかなか述べられないような具体性、迫真性のある供述に富んでいる。その一端を示すと、以下のとおりである。

(一) 犯行状況について

被告人は、捜査段階において、その犯行状況につき、「夢中で事務机の上にあつたボルトを右手でつかみ、すぐ前を歩きかけている長尾の背後から、その後頭部を力一杯殴りつけたところ、同人は、瞬間『なに』と声を発して後方へのけぞつたのち、ガクンと両膝を折り、崩れるように床に倒れ、俯伏せに伸びてしまつた。被告人は、倒れた長尾の右横に行き、腰をかがめ中腰の状態で、同人の頭部を更に、少なくとも四、五回殴つた。」旨自白する(証拠略)。右机の上には、一般的により殺傷能力が高いと思われるハンマー等もありながら(証拠略)、被告人は、殊更ボルトを凶器と供述していること、長尾の転倒状況につき、単純に転倒したとせず、一度後方にのけぞつたのち前に倒れたと述べていること、その際発した声も「あ!」などというものでなく「なに」というものであること、その後長尾を殴打した回数につき、「少なくとも四、五回」と不明確な点は不明確なままに供述していること等が注目される。

(二) 死体梱包方法について

死体梱包方法につき、被告人は、「まず、キツチンから横六〇センチくらい、縦九〇センチくらいの水色ビニール袋をとり、手に血がつかぬよう袋の入口を外へ折り返し、中に両手を入れて長尾の頭にスツポリかぶせたうえ、血が流れ出ぬよう、ビニールロープで首のところを二回巻いて縛り、更に、じゆうたんの血がビニールにつかぬようビニールをかぶせた頭を少し中央シヨーケース(別紙図面<1>)寄りに移動させたうえ、そこで長尾の両手を背中で後手に合わせてビニールロープで縛り、足首もまとめて縛つて膝を折り曲げ、足を縛つたロープと手を縛つたロープを結び合わせて逆海老状に緊縛したのち、その上から店内に置いてあつたキリムのじゆうたんのうちの一枚でこれを梱包するため、死体の右側にキリムを丸めて置き、死体の右肩に片手をかけ、死体の右肩を持ち上げてキリムの端を入れ次に左肩を持ち上げてキリムを引き出すというようにして、肩から足の方へ順次繰り返して右キリムを死体の下に敷き込み、両端を折り曲げて包み込んだ上からビニールロープで二か所縛つたのち、更にその上から商品梱包用のうこんの布(幅〇・九メートル)を約一五メートルの長さに切り、これで縦に五、六重に死体を包み込み、その上からビニールロープで五、六か所を二重縛りした。」旨自白する(証拠略)。右のように、極めて手の込んだ特異な梱包、緊縛の態様を、被告人は誠に具体的に供述しているうえ、しかも、かかる自白が、一二月九日既に大筋において捜査官に対しなされ、詳細な図面まで作成された(証拠略)のち、以後一貫してほぼ同様の自白が繰り返されていること(証拠略)、かかる特異かつ複雑な方法につき、被告人は、その後一回の練習を経たのみで、二月二〇日の犯行再現の検証及びその状況のビデオ録画の際には前示のとおり実に手際よく自白どおり再現してみせていること(前記一2(二)(2)参照)等に照らせば、被告人が右梱包状況につき、捜査官に誘導されるまま、想像で適当に述べたものとは到底考えられない。

被告人は、その死体の縛り方の特異性につき、当公判廷において、ずつと「特に参考にしたものはなく、全くの想像で自白をした。」旨供述してきたが(証拠略)、最終段階において、かつて某女性を縛つたことがあり、それを参考に自白した旨供述を訂正している(証拠略)。かかる特異な方法を全くの想像で供述してきたという被告人の供述が不自然で措信し難いのは勿論のこと、仮に被告人が本件公判最終段階で述べるとおり、かつて同様の方法で女性を縛つたことがあり、これをヒントに供述をなしたとしても、そのヒントだけではかかる複雑な他の梱包方法、手順を想起し得る論拠とは到底なり得ず、かえつて、右弁解は、被告人がかかる特異な死体の緊縛を、全く捜査官の誘導によることなく、自ら進んで語つたことを示す証左と言える。

(三) その他の諸点

その他にも、被告人の自白は、全般にわたつて具体性に富んでいる。その例を示すと、

(1) 殺害直後階段を駈け降り、店の前に止めてあつたハイエースに乗り込んだものの、もう逃げられないと感じ、同店下の喫茶店に小走りで入り、洗面所で自分の顔を見た。このときは、「とにかく自分の顔をとても見たかつた。」という心境だつた。鏡に映つた顔は「今まで見たこともないほど血の気が引いて、真つ青だつた。」、両手を広げて見ると血は付いていないようだつたが、「この手で人を殺してしまつた。」という気持から手を洗いたくて仕方なく、洗つたという部分(証拠略)

(2) 右喫茶店内では「社長が上から降りて来るのではないか。」などと思つたりして、不安でたまらず、ドキドキとしていたという部分(証拠略)

(3) 死体を梱包、運搬する際人糞の臭いがしたという部分(証拠略)

(4) 死体を梱包し同店内に置いて、ハイエースを駐車場へ入れ、同店内へ戻つたが、その際、「死体を置いているのが不安で、何かまだやり足らないことがあるのではないか、殺しているところを誰かがのぞき見ていたのではないか、そのために店のところに人が集まつたりはしていないか。」などと不安を感じたという部分(証拠略)

(5) その際同店に戻つて、奥座敷に置いておいた死体が「動いているんじやないか。」と不安を感じて確認したという部分(証拠略)

(6) 犯行日の翌日である二月二五日いつもより早めに出勤し、死体を確認して「できれば夢であつて欲しい。」と思つていたが、がつかりしたという部分(証拠略)

(7) 死体を積み込んで放置してあつたハイエースのドアを開けたとき異臭がひどくてハイエースの窓という窓を全部開け放つたという部分(証拠略)

などがあり、犯行後の状況や当時の被告人の心理状態を生々しく伝える供述と言えること、また、被告人は、当初から、犯行場所、死体梱包状況等につき、自白の都度自ら詳細な図面を書いて説明していること、しかも、他方では、「殺害後店を出る時、照明を消したか、あるいは、施錠したかは記憶がない。」と供述するなど、思いつきで答えているのであれば、いずれと答えても不自然でないような事項について記憶の不鮮明さをそのまま残していること等の点に鑑みると、その信用性は高いと考えられる。

三  自白内容の問題点

一方、被告人の捜査段階における自白には、弁護人の指摘する点も含め、以下のような検討を要すべき諸点も存する。しかしながら、それらの点を検討してもなお、前示のようなその信用性を高める諸点をも総合考慮するときは、右の自白の信用性に合理的疑いを生じさせるほど不自然な点は認められないと言うことができるのである。以下に詳論する。

1 返り血の痕跡が認められた被告人の衣類が発見されていないこと

被告人は、犯行時、「おそらく焦げ茶色ジヤケツト、黒ズボン、白ワイシヤツ、えんじ色ネクタイを着用していた。」と供述し(証拠略)、捜査官が被告人宅で一二月一六日差押さえた右供述に該当すると思われる衣類を鑑定したところ、その血液反応はいずれも陰性を示し(証拠略)、被告人も、「犯行直後、『無盡蔵』階下の喫茶店『タイム』へ行き、顔、着衣を確認したが、血は付いていなかつた。」旨供述している(証拠略)。従つて、右各鑑定結果と被告人の右供述は一応符合しているけれども、前示のように(第二の二1)、本件殺害現場では多数の飛沫血痕等が周囲の家具等に付着していながら、被告人が当時着用していた可能性のある衣服に血液反応が全く出ないというのは、一見奇異な感じを受けないではない。しかしながら、

(一) 被告人の右犯行当時の着衣に関する記憶は、既に右犯行後一年近くを経過したときのものであること、着衣を特定した論拠も普通の出勤時のものであつたという印象なので当時よく着ていたものと思われるという程度のものであることなどに鑑みると、それほど確実なものとは言えず、また、被告人は当時、黒ズボンは四本以上、白ワイシヤツは約一〇枚、えんじ色ネクタイは五、六本持つていた(証拠略)というのであるから、差押・鑑定された物件が当時の着衣と同一物でない可能性も考えられること、

(二) 前記衣類の押収時までには犯行から相当期間があり、被告人あるいは林が犯行当時着用していた被告人の衣類を処分し得る機会は十分に存し、現に林は、被告人の衣類を何着か処分した旨認めていること(証拠略)に鑑みると、当時被告人が着ていた衣類等は、右差押・鑑定時既に処分されていた可能性も十分考えられること(なお、この点について、弁護人は、前記ブーツに人血反応が認められるのに、衣類だけ処分するのは不自然である旨指摘するが、前記〔第三の三〕のように、ブーツの人血付着は、その部位及び態様から被告人が看過することも十分あり得るから、ブーツについてのみ、血液付着を看過して処分しなくても不自然とは言えない。また被告人の自白調書で着衣等の処分に関して触れていない点も、捜査官がこの点を被告人に問い質した形跡は窺えないところ、着衣等の処分にもし林が関与しているとすれば、被告人がこの点を進んで供述しないことも不自然とは言えないと考えられる。)、

(三) 仮にそうでないとしても、被告人が自白する犯行態様と類似の方法で、ヘルメツトの上に牛血を浸み込ませた雑巾を置いて長尾の頭部に見立てて殴打する実験を行つたところ、右ヘルメツトの右斜め後に立つていた実験者の衣服に来る返り血は、全くないか、あるいは比較的少量にとどまつたこと(証拠略)に照らせば、右被告人の自供どおり返り血が存しなかつたとしても不自然ではないこと

などの事情を勘案すると、右の点は、未だ被告人の自白の信用性を揺るがすものではないと言うべきである。

2 自白が変遷している事項

(一) 犯行の際長尾の帽子がどうなつたかについて、被告人の自白調書が、一二月九日段階では「長尾の帽子は少しずれただけで脱げなかつた。」となつていながら(証拠略)、一二月二六日段階では「殴るうちにずり落ちた。」となり(証拠略)、更に昭和五八年二月一二日段階では、「殴つているときは無我夢中で殴つており、そのうち帽子が頭の上の方に落ちていたことに気が付き、殴るのをやめた。帽子が脱げた後も殴つたと思う。頭に二、三本傷がついた。」(証拠略)と次第に変遷しているが、弁護人はこの点を指摘して、右は取調時における捜査官の誘導の存在と被告人の迎合を示す証左であると主張する。

そして、被告人の捜査段階における自白調書を検討すれば、右以外にも、

(1) ボルトで殴つた際の出血量について、はじめは「思つたより出ていない。」(証拠略)、と述べていたが、後には「頭の辺りのじゆうたんが二〇ないし二五センチメートル四方にわたつて血で汚れた。」(証拠略)と述べていること、

(2) アクリル板が別紙図面<4>の戸棚の前に立てかけてあり犯行の翌朝これにもいくつかの飛沫血痕がついているのに気付き、洗剤を付けたぼろ布でふいたことについては、供述調書上は被告人の検察官に対する昭和五八年二月二二日付供述調書(証拠略)においてのみ供述されていること、

(3) 梱包の際に途中で死体の向きを変えたことについては、司法警察員に対する昭和五八年二月一七日付(証拠略)及び検察官に対する同月二一日付(証拠略)各供述調書及び司法警察員作成の同月二六日付検証調書(証拠略)、ビデオテープに現れているが、それ以前の供述調書にはないこと、

(4) 犯行直後喫茶店「タイム」に行つたことについて、被告人の司法警察員に対する昭和五七年一二月九日付(証拠略)及び同月二六日付(証拠略)各供述調書にはかかる記載がないが、司法警察員に対する昭和五八年二月一七日付(証拠略)及び検察官に対する同月二一日付(証拠略)各供述調書には、その供述記載があること、

(5) 犯行後、長尾の手首を後手に結んだ状況について、はじめは、長尾の手を手のひら部分を合わせるような形で緊縛したことになつている(証拠略)が、後には、手の甲を合わせるような形で緊縛したことになつていること(証拠略)、

(6) 長尾の死体梱包に際し、キリムで巻いた上からビニールロープで縛つたか否かについて、司法警察員に対する昭和五七年一二月二六日付供述調書(証拠略)にはかかる行動をとつた旨の記載はないが、前記検証調書(証拠略)、前記犯行再現状況のビデオテープ、被告人の検察官に対する昭和五八年二月二一日付供述調書(証拠略)には、キリムの上からビニールロープで縛つた旨の供述があること

等の供述の変遷や欠落が認められる。

(二) しかしながら前記各供述がなされたのはいずれも本件殺害後九か月以上も経過してからであることに加えて、本件犯行態様に照らせば、犯行時の激情により、その後の被告人の記憶にある程度の混乱が生じたとしても何ら不自然とは言えないこと、また、被告人の当公判廷における供述態度を見ると、被告人は不明確な記憶しか有しなくとも、その時頭に浮かんだ推測を、あたかも確実な記憶に基づくかの如く断言する傾向が見られることなどに鑑みれば、被告人が自白を始めた段階では忘れていたことを後に取調官から尋ねられて思い出したり、あるいは、取調時明確な記憶を有しなかつたにもかかわらず、その場その場での捜査官の示唆あるいは自らの思いつきにより適当に答えたりすることは十分あり得ることであると考えられるばかりか、むしろその方が自然であつて、前記の点に関するその程度の自白の変遷は、何ら自白全体の信用性を疑わせるに足るものとは言えないと言うべきである。

(三) 右のうち帽子及びアクリル板の点について付言しておく。

まず、右帽子の点については、夢中で殴り気が付いたら落ちていたとする後の供述の方が、激情の赴くままになされた犯行状況に符合し、信用性が高いものと認められる。

次に、弁護人は、アクリル板に関する前記自白内容について、アクリル板だけ洗剤で血痕をふきとり、シヨーケース等の分をふきとらなかつたこと及びアクリル板が前記戸棚前に立てかけてあつたことは不自然で、戸棚に血痕が付着していないことの辻褄合わせのための供述である旨指摘し、被告人もアクリル板は二月二四日ころは別の場所にあつたと当公判廷(一八、二二回)で供述する。しかしながら、

(1) この点に関する捜査経過は、前記自白内容と同趣旨の供述を確認するものと思われる「アクリル板の血液付着の有無」及び「アクリル板に血液を付着させ一晩放置したうえ洗剤でふきとつた場合のルミノール試験結果について」の鑑定嘱託が昭和五八年二月一七日なされ(証拠略)、同月二〇日実施の犯行再現状況の検証の際には、アクリル板が前記戸棚前に立てかけられており、被告人もこれを当然の前提として犯行状況を再現しており(証拠略)、右の鑑定書(右試験結果は陰性)は同月二三日付で作成されているというものであつて、この経過に鑑みると、被告人が右鑑定嘱託以前に取調過程で記憶を喚起し、前記供述と同趣旨の供述をなし、これに基づいて前記鑑定嘱託がなされ、その結果自白に符合する血液反応陰性の結果が得られたことが窺える。

(2) 前示のとおり(第四の二2(二))シヨーケース等についても布でぬぐつたような痕跡が存するうえ、シヨーケース等の家具類は焦げ茶色等でそこに付着した赤褐色の血痕は、透明のアクリル板に付着した血痕に比してはるかに発見しにくいこと、当時店内の照明はシヨーケース内のものと商品にあてたスポツトライトのみであつて(証拠略)、血痕の残つていた部分はかなり暗かつたものと認められることなどに照らせば、被告人がシヨーケース等に付着した血痕の方は、ふき残したとしても不自然とは言えない。

(3) 同所にアクリル板が置いてあつた点も、アクリル板は商品であるインカの布をはさんで展示していたものであり、中の布を売却後、そこに立てかけたままにしてあつた旨の被告人の捜査段階における説明(証拠略)は十分納得し得るものである。

(4) アクリル板が立てかけてあつたとされる戸棚部分からは血痕が発見されず、アクリル板自体の血液反応も陰性であることも右自供と符合するものである。

これらの事情に、前記の供述変遷等に関して説示したところを合わせ考えれば、右帽子に関するのちの自白及びアクリル板に関する自供も十分信用性を肯認し得るものと言うべきである。

3 長尾殺害の動機に関する自白の信用性について

検察官は、本件殺人の犯行の動機について、被告人と長尾の間の男色関係のもつれである旨主張し、被告人が捜査段階で自白しているとおり、本件犯行直前、被告人がアジア会館に行くため店を出る支度をしていたところ、長尾がその背後から抱きつき、ワイシヤツのボタンをはずして右手をその胸部に差し入れるなどしながら、「今晩どうだ。仕事が終つたら付き合えよ。」などといつて関係を求めてきたのを被告人が拒んだところ、同人から「何のためにお前に高い金を払つているんだ。」などと詰られたため被告人が極度に憤激したことが本件殺害の直接の動機になつたものであると言うのである。

これに対し、弁護人は、右動機に関する自白は到底信用できないものであるとして、犯行全体に関する自白の信用性を否定するひとつの大きな論拠としている。

そこで、右動機に関する自白の信用性について検討を加えると、まず、その信用性を肯定する方向に働く事情として、次の二点が挙げられる。

(一) 男色関係については、一般に他人に知られるのを嫌う事柄であり、現に被告人自身、本件殺害の自白の日まで、これを秘匿していたにもかかわらず、一二月八日誘導等を受けずにこれを捜査官に供述するとともに、その日から前記の男色関係のもつれを犯行動機の主要なものとして述べていること、

(二) 当時、被告人が極度に金員に窮し焦燥感を募らせていたことや「無盡蔵」後継の希望を背景として、長尾の不愉快な言動に不満を抱きながらも耐えてきたところ、一月ころから同店を継げるかどうかについても不安を感じていたことなど、被告人の自供する当時の心理状況を合わせ考えれば、前記のような被告人の憤りも、一応殺害の動機となる場合もあり得ることは否定できないこと。

しかしながら、他方、前記動機に関する自白については、次のような種々の疑問も指摘できる。

(三) 「何のためにお前に高い金を払つているんだ。」という言葉は、確かに被告人の心を深く傷付けるものとは思われるが、被告人の自白によれば、昭和五六年夏ころからときどき被告人は長尾から右言葉とほとんど同様のことを言われたことがあつたというのであるから、前記言葉により、被告人がその生活と将来の希望の拠り所である長尾の殺害までをも決意する程の衝撃を受けたというのには、納得しかねるものが残ると言わざるを得ない。なお、検察官はこれを補足する動機として、給料以外の金員の支給を断たれていたこと、掃除のやり方などで嫌味を言われていたこと、将来店をたたもうかと言われていたことに基づく日ごろの立腹や不安感などを挙げるけれども、これらを合わせ考えても、前記の長尾の言葉が直接の犯行動機となつたということには、やはり疑問が残るのである。

(四) 被告人の供述によれば、長尾は一月中旬以降被告人に給料以外の金員は一銭もくれなくなつていたというのであるから(証拠略)、長尾が、この時期に「何のために高い金を払つている。」という言葉を発したというのも不自然である。

(五) 被告人が捜査段階及び当公判廷で述べるところによれば、被告人と長尾との性関係は二、三年前から被告人が拒否していたため全く絶たれていたことになるところ(もつともこの点自体も、長尾が被告人に対しその後も昭和五六年一二月まで給料以外に毎月約五〇万ないし約一〇〇万円という著しく多額の金員を与え続けていたことに照らすと、その信用性はかなり疑問であるが)、長尾の前記発言の前提となるところの同人が被告人に対し肉体関係を求めた仕草と言葉は、二、三年も性関係を断わられ続けていた者に対するそれとしてはやや不自然である。

(六) また、後述のとおり(第五の三2(四))、当日長尾と被告人は、午後六時ないし八時ころ、アジア会館でバツトと会う約束をしていたと認められるから、その刻限を間近に控えかつそのため出かける準備をほとんど終えた午後七時四〇分ころに、長尾が被告人に対し前記のような行動に出るというのもやや不自然と思われる。

(七) 前記のとおり、被告人は、本件当時極度に金銭に窮していたと認められる一方、長尾殺害の直後その夜のうちに長尾の現金を奪つたと自白し、また、二月下旬以降著しく多額に上る「無盡蔵」の商品を売りとばし、金を使い込んだと認められること等に徴すると、長尾殺害の動機としては、金欲しさあるいは金銭をめぐるトラブル、例えば、被告人が金に困つて長尾に金をくれるよう要求し又は金を貸してほしいと頼んだところ、同人からこれを断わられるとともに詰られ、その態度に立腹して犯行に及んだということ等も十分疑うことができる。また、本件証拠上、被告人が長尾から店の商品の売却横領や店の金の使い込みの疑いをかけられて、叱責されたための犯行とか、あるいは、被告人を将来「無盡蔵」の後継者とするかどうかをめぐるトラブルからの犯行とかを疑う余地もある。しかし、これらのうちのいずれかであると断定できるまでの証拠はない。

以上の両面にわたる諸点を考え、当裁判所としては、被告人の動機に関する自白は虚偽であると断定することもできないし、また、逆に右動機の自白の信用性を肯定することもできないと判断した(以上の次第で前示「罪となる事実」では、犯行の動機を殊更認定判示しなかつたものである。しかし、量刑に当つては、本件について考え得る種々の動機のうち、被告人が捜査段階で自白し、かつ、検察官の主張する前記の男色関係のもつれによる憤激が、犯行の非計画性、非利欲犯性、被害者の落度の存在等の面で被告人に最も有利であると解されるので、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に則り、本件殺害の犯行は被告人の前記自白どおり男色関係の拒絶を切掛けとした長尾の前記言葉に被告人が憤激してなした激情犯であると扱つて、量刑することとする。)。

そして、仮に、被告人の動機に関する前記自白が虚偽であるとしても、本件殺害の動機については、被告人において、不利益な事実を覆い隠すため、虚偽の供述をし、もしくは一部の事実のみを殊更強調して供述する合理的な理由も十分考えられる。即ち、被告人には、前示のとおり、殺害当時強盗目的等があつたのではないかと窺わせる状況が存し、現に捜査段階においてもそのような追及がなされているが、被告人はこの点は断固として否定していること(証拠略)などに照らすと、被告人が刑が著しく重くなる強盗殺人と見られることを免れるために、動機に関しては、一部の事実を秘匿し、あるいは一部の事実を誇張し、更には虚偽の供述をすることがあつても、決しておかしくはないと考えられる(殺害については真相を語りながら、動機の点については虚偽の供述をするといつた例は決して珍しいことではないのである。)。

従つて、動機についての自白が虚偽であり、またはその疑いが強いとしても、右のように動機に関し、うその自白をする合理的な理由の認められる本件においては、動機に関する自白の信用性の否定が犯行全体に関する自白の信用性までをも揺るがすものとは到底言い得ないのである。

4 死体投棄場所

弁護人は、被告人の自白した死体投棄場所から長尾の死体が発見されなかつたこと等いくつかの理由を挙げて、死体処分に関する自白は信用性に乏しい旨主張する。

捜査段階における長尾の死体の処分状況に関する被告人の自白は、要旨次のとおりである。「二月二四日長尾殺害後、同人の死体を梱包して『無盡蔵』店内の当時物置として使用していた和室(奥座敷)へ運び入れ、そこに一昼夜放置した後、翌二五日『無盡蔵』閉店後、これを同店のハイエースに積み込み、二六日赤羽の自宅付近の駐車場に同車を移動し、死体に毛布や桐箱等を乗せて外見上怪しまれないようにして、二七日同車を出光駐車場に戻し、以降同所にそのまま駐車しておいたが、三月六日午後一一時ころ、死体処分のため家を出て出光駐車場で重りとしてボルト五、六本を右梱包死体のロープに差し込み、翌七日午前一時ころ神奈川県川崎市川崎区水江町五―三水江町公共物揚場に右ハイエースで死体を運び、前記梱包死体を、同所から京浜運河に投棄した。その際、公共物揚場入口に張つてあつた鎖の一方は、ポールに取り付けられていた鍵型の細い棒に引つ掛けてあるのみであつたので、これをはずして地面にはわせ、車を後退させて岸壁から五、六〇センチメートルまで近づけて停車したうえ、荷台に乗り込んで、足で押したり、ロープに手を掛けて引つ張つたりしながら、右死体を荷台最後部まで移動したのち、車を降り、左足を岸壁の車止めの内側に掛け、右足を荷台に乗せた体勢で、ロープを両手で持つて一気に死体を引つ張り、そのままこれを運河に投げ込んだ。その後、車を物揚場から出して、その出入口から二〇メートルほど先まで走行させたのち、再び立ち戻つて水面を見たが、何も見えないので、鎖を元のように掛けたうえ午前二時ころ帰宅した。」(証拠略)。そして、右自供に関する問題点としては、次のような点が一応挙げられる。

(ア) 右自白に基づき、一二月一二日、同月二一日ないし三〇日、昭和五八年二月一九日、及び二〇日の計一三日間にわたつて、捜査機関等による潜水方式、船艇すばり方式(船から先端に錨を付けたロープを流し、海底の不審物を探り引上げる捜索方法)、底引網及びクレーン車による同所付近一帯の必死の捜索が、延六四〇名以上の人員を動員して行なわれたが、結局長尾の死体は勿論、遺品等も、同所近辺から発見されるに至らなかつたこと(証拠略)、

(イ) 右公共物揚場出入口付近に取り付けられた鎖の状況は、その鍵保管者らの供述によれば、「原則的には、東側支柱に固定された鎖を引つ張つて、西側支柱のフツクに引つ掛けたうえ、その鎖の先を支柱に巻き付けて南京錠をかけることになつていた。」というもので(証拠略)、被告人が供述するところと少し食い違うこと、

(ウ) 被告人は、本件殺害事実を自白した当初から、死体投棄場所を京浜運河と供述したわけではなく、一二月八日付上申書(証拠略)及び同月九日付の司法警察員に対する供述調書(証拠略)では、荒川に投棄した旨述べていたこと

これらの諸点に照らせば、長尾の死体処分状況が、完全に被告人の自白どおりのものであつたのかについては、疑問の余地も全く存しないわけではない。

しかしながら、右諸点も、以下のとおり、合理的説明が可能であつて、被告人の自白全体の信用性を揺るがすものと言うことはできない。

(一) 死体が発見されていない点について

長尾の死体や遺品等は、前示のような捜査機関による必死の捜索にもかかわらず発見されなかつたが、この点に関する事情として、以下の点を指摘することができる。

(1) 本件長尾の死体の水中投棄後の浮沈状況に関する鑑定によれば、被告人の自供どおりの状態で長尾の死体が京浜運河に投棄されたと前提した場合について、「本屍は投水されて一、二分後に水面下一メートルの辺りに落ち着き、その後一ないし六時間はその深度のまま漂流して投棄場所とは別の地点へ移動したのち、更に長時間をかけて水底に沈下する。沈下した水底が水深一〇ないし二〇メートルの所であれば浮揚して再び漂流し、四〇ないし五〇メートルの所であれば浮揚することなく水底にとどまつているものと思料される。」とされている(証拠略)。

(2) 京浜運河は広大な東京湾に直結している幅約五〇〇メートル、長さ約七キロメートル、水深は概ね十数メートル(但し右物揚場岸壁に近い辺りは約四、五メートル)の大きな運河であり、その潮流も複雑であつて(証拠略)、死体が東京湾を経て太平洋に漂流しても不自然ではないと言える。

(3) 京浜運河内を航行する船舶数は三月には二〇トン以上の船のみでも概ね一七〇〇隻近くに達し、また、昭和五六年一〇月二七日ないし二九日の実測によると、一日の通過船舶は六二五隻に達することもあつた(証拠略)。

(4) これまでにも、川崎市川崎区千鳥町の市営ふ頭岸壁からの投身自殺死体が同区扇島東側で発見され、あるいは同区東扇島南側堤防上から海中に転落した釣人の死体が、横浜市金沢区柴町の東方海上二キロメートルの地点を漂流中発見されたりした例がある(証拠略)。

これらの点に徴すると、京浜運河に投棄された長尾の死体が潮流、風波あるいは船舶の影響により投棄場所から遠く離れたところまで漂流しまたはその後海底に沈下した可能性も十分あると言わなければならないのであつて、捜索の結果投棄場所周辺から死体が発見されないからといつて、これを死体投棄に関する自白の信用性を否定する論拠とすることはできない。

(二) 公共物揚場出入口鎖の状況についての被告人の自供と証言との不一致について

右物揚場の施錠が前示原則どおり徹底されていれば、被告人の車が公共物揚場内に乗り入れることは困難であり、その自供には客観的事実との矛盾点が存することになるけれども、右物揚場の施錠状況については、当時の同所の管理責任者である土井一夫が、「時々鍵は閉まらずにそのまま帰つてしまつたことがある。」と述べ(証拠略)、その鍵の当時の保管者である関根満が、「錠前に砂などが入つてかからないことが一〇回のうち二、三回くらいはあつた。南京錠を鎖に引つ掛け、ロツクしないまま帰つたこともあつた。三月六日もかけたかどうかはわからない。」旨述べており(証拠略)、かなり杜撰な管理方法だつたことが窺え、同日、その鍵がかかつていなかつた可能性も十分に考えられる。しかも、その鎖は、原則どおり、フツクに引つ掛け支柱に巻き付けて南京錠で固定した状態にあつても、そのたるみを引つ張つて、支柱に巻き付いている部分を揺すると、支柱に巻いたままの状態でチエーンが下に簡単にずり下ろせ、地面にはわせることが可能であり、また、鎖の張り具合によつては、支柱の上へ抜くことも可能であると言うのであるから(証拠略)、かかる方法で同所を通過することも不可能ではない。しかも、

(1) 同所の入口に向かつて右側支柱には、被告人の自供どおりフツクが現存し、その供述どおり、フツクに右鎖をかけるだけでも同所を閉鎖することが可能であり、しかも、この方法がその閉鎖方法としては最も簡易なやり方であること、

(2) 被告人は「鎖が手で簡単にはずれた。」旨当初(証拠略)から一貫して供述しているうえ、その他の同所付近の状況についても自供内容がその後の捜査結果と概ね符合していること、

(3) 土井は、同所の管理責任者として、過去に、車が同所から運河に飛込んだ事故があり、事故防止等のため、警察からの指導等により、その施錠を励行することになつていた(証拠略)という立場上、また、関根も施錠するように土井らから指示を受けていた(証拠略)という立場上、同所が捜査機関によつて死体投棄場所とされた後にその供述を求められれば、仮に著しく杜撰な管理方法しかしていなかつたとしても、それを正直には話しづらいと思われるから、同所の施錠を励行していたとする両名の供述部分の信用性は高いとは言えず、特に、ある程度杜撰な管理方法であつたことを認め、当日の施錠状況については全く記憶がないとしながら、「フツクに鎖をかけるだけにしたことはない。」とする関根の公判供述の信用性に疑問をはさむ余地が大きいこと

等の事情に鑑みると、むしろ被告人の自供に反する右土井及び関根の各供述の方が措信し難く、この点も被告人の自白の信用性を揺るがすものとは言えない。

(三) 被告人の供述変遷について

更に、被告人は、自白を開始した当初荒川へ投棄した旨虚偽の自白をしたことは、明らかである。しかし、次に述べる(1)ないし(4)の各点を合わせ考えれば、右虚偽の自白をしたことをもつてその後の京浜運河への死体投棄の自白の信用性を疑わせる事由とはなし得ないものと考えられる。

(1) 荒川を死体投棄場所とする供述は、一二月八日の上申書と同月九日付供述調書だけであり、しかも後者では、「今は捨て場所はそうしておいて下さい。」と留保を付け、虚偽の供述であることを仄めかしているのに対して、その後の京浜運河へ投棄の自供ではこのような点は認められない。

(2) 被告人は、当初投棄場所を荒川と供述した理由につき、捜査段階で「死体が出るのが怖かつた。おそらく死体は腐り見る影もないから、思つただけでも嫌だ。」と述べているが(証拠略)、それはそれなりに当初死体投棄場所について虚偽の自白をした理由として納得できる説明であると考えられる。

(3) 被告人は、自白を開始した日の翌日である一二月九日に京浜運河への死体投棄を自白し、翌一〇日には捜査官をその現場に案内して、同所で海に向かつて泣き伏し、土下座して長尾に詫びる態度を示した事実が認められる(証拠略)。被告人は、この点につき、「実際の物揚場の広さや落下止めの高さが自己の自白内容と異なつたため、自己が京浜運河に死体を投棄したのが真実であると捜査官に信用させようとして演じた演技である。」と弁解するが(証拠略)、右程度の矛盾は記憶の不明確さ、稀薄化により十分説明する余地があり、いきなり泣き伏す風を装つて信用させようとしたと述べるところは、殺人犯人として嫌疑を受けている者の行動としてまことに不可解、不自然であつて、被告人の右弁解は到底措信できない。

(4) 被告人は、捜査段階で、七月末午前五時ないし五時半ころ、台風後の死体の浮上を気づかつて、同所を見に出掛けその帰途、同日午前六時ころまだ寝ていた父らを起して実家に立寄つたと述べている(証拠略)。被告人は、当公判廷において、そのころ同所に赴き実家に立寄つたことは認めながら、「同日午前四時ころ、林とけんかをして家を飛び出し、実家に行くのには時間が早すぎるので、以前から自動車の運転練習等に使つていた同所に立ち寄つただけである。」旨弁解するけれども(証拠略)、昭和五六年一一月、妻秋代との離婚話中に林と婚礼を挙げたことなどをとがめられて以来、ずつと実家に寄り付かなかつた被告人が(証拠略)、かかる時期、突然理由もなく父方を訪れるのは不自然であり、しかも他に時間をつぶす場所などいくらでも考えられるであろう被告人が、何故京浜運河を訪れたのかも明らかでなく、被告人の弁解は措信し得ない。

むしろ、以上の諸点に加え、被告人が一二月九日、投棄場所が京浜運河である旨供述したのちは、捜査段階では一貫して右自白を維持していること、死体処分状況に関する自白が、前示引用のとおり極めて具体的かつ詳細であること等をあわせ考えれば、むしろ右死体投棄場所についての自供もほぼ確からしいと考えられるのであつて、前示の一応問題とすべき点の存在は、被告人の自白全体の信用性を減殺する方向に働くものとは到底言えないことは明らかである。

四  被告人の公判における犯行否認供述等の不合理性

被告人は、公判段階に入つてから、長尾殺害及び犯跡隠蔽工作の事実を否認し続けている。しかしながら、その公判供述は、これまで各所に指摘してきたように、「無盡蔵」店内の血痕付着の心当たり(第二の二2(一))、二月二五日以降の被告人の金銭収支についての説明不能(第三の二1(二))、被告人が被害者の愛用品を処分した理由(第三の二3)、レリーフ購入の目的(第三の二2(七))、引当りの際、京浜運河で泣き伏した理由(第四の三4(三))七月に京浜運河へ行つた理由(第四の三4(三))、自白に至るまでの取調状況(第四の一1)、ハイエース内での贋物づくり(第四の二2(六))等々の点にわたつて、随所にその不自然さ、不合理さが認められ、更に「第五犯行日の特定」の項で説明するとおりの変遷、矛盾、不合理性が認められるので、到底信用することができないものと評さなければならないのである。

五  まとめ

以上検討してきたところによれば、被告人の捜査段階における自白は、殺害の動機の点に関する自白及びこれに関連する一部の点の供述に信用し難い点があるけれども、その他の犯行の客観的状況を含むその大部分にについては、極めてその信用性が高く、これを信用することができるものと言わなければならない。

そして、被告人の捜査段階におけるこの自白内容及び前示各情況証拠とを総合すると、被告人が二月二四日から二六日の間に、「無盡蔵」店内において、単独で、殺意をもつて判定認定のとおり鉄製ボルトによる殴打という方法で長尾を殺害したとの事実は、優にこれを認定することができるのである。

第五犯行日の特定

一  問題となつた経緯

以上認定のとおり、本件殺人の犯人が被告人であるとの認定はもはや揺るぎようのないものである。

しかし、一方、本件は、犯行日と主張されている二月二四日以降の二五日又は二六日に、長尾と面談をしあるいは電話で話をしたと証言する証人らが現われ、これに相応じるように、被告人も、本件公判の途中から、長尾と最後に別れたのは二月二六日であり、同日まで長尾は生きていたと供述を変遷させ、かつ、二月二四日午後七時半ないし八時ころから午後一一時ころまでのアリバイを主張するに至つたという特異性の存する事案である。そこで、以下には、その犯行日の特定について、特にそれが二月二四日であるのかあるいは二五日以降であるかとの点について、特に項を設けて、当裁判所の認定理由を説明する。

二  被告人のアリバイの主張について

被告人は、本件犯行日とされる二月二四日の行動について、本件公判において、「二月二四日は、『無盡蔵』閉店後、午後七時半ないし八時ころ一人で池袋のシヤトレーヌへ行つて飲酒し、そこから電話をかけて林恵美子を呼び出したうえ、一緒にフアツシヨンドラムへ行つて午後一一時ころまで飲酒した。シヤトレーヌ及びフアツシヨンドラムでは、その時ウイスキーボトルをキープしたか、あるいはそれ以前にキープしていたボトルが残つていればそれを飲んだかのどちらかである。」旨供述する(証拠略)。

しかし、被告人の右主張事実を裏付けるに足る証拠はほかにないから、二月二四日夜の犯行に関するアリバイは成立しないことが明らかである。それのみか、以下1及び2に述べるとおりの右アリバイを否定する証拠があり、被告人のアリバイに関する公判供述の信用性も甚だ乏しいことは明らかである。

1 二月当時、東京都豊島区南池袋一丁目翠ビル四階に所在するミニクラブ・シヤトレーヌのホステスをしていた青山一美(旧姓足立)は、「被告人が同店を最初に訪れたのは一月一五日過ぎであり、次に来たのは三月中旬であつて、二月中は来ていない。自分は当時同店を欠勤したり遅刻したりしたことはなかつたし、店の広さ、客の入り具合からいつて被告人が来れば当然わかるはずであり、当時被告人が来た時はいつも自分が付いていたのだから、二月に被告人が同店を訪れれば覚えているはずである。」旨供述している(証拠略)。また、当時同店レジ係であつた泉千穂子も、「同店ではボトルを入れると伝票に客の名前を書き入れることになつているが、二月の伝票について調べたところ、被告人の名前が入つていたものはなかつた。また、二月の伝票中何枚か名前の入つていないものもあつたが、それらについては大体どの客の分であるかわかつているし、被告人のようにいつも早い時間帯に来る客の場合に名前を入れないまま伝票を出したことは二月にはない。従つて、被告人は二月には来ていないと思う。」旨証言している(証拠略)。

右は、被告人の「二月二四日、シヤトレーヌへ行つた。」旨の当公判廷における供述を、明確に否定するものである。

2 更に、東京都豊島区南池袋一丁目富士ビル五階に所在するパブ・フアツシヨンドラムの支配人木村照俊は、「同店においては、顧客からウイスキーボトルの注文を受けた際には、必ず『メンバーズカード』(ボトル申込書)を作成し保管する。同カード裏面には、当該顧客について、そのボトルの動きをすべて記入する。従つて、そのメンバーズカードを見れば、同店内におけるボトルの動きが全て把握し得るようになつているところ、同店メンバーズカード綴から発見された被告人名義の同カードによれば、被告人は、昭和五六年三月一二日、パブ・フアツシヨンドラムに来店してウイスキーボトルを注文し、以後これをキープしていたが、有効期限である三か月のうちに飲み終えなかつたため、同店ではこれを六月限りで『期限切れ』の扱いとし、以後被告人は、昭和五七年一二月までの間、同店にボトルを入れていないことが読みとれる。また、同メンバーズカード綴から発見された林恵美子名義のカードによれば、同女は、昭和五五年八月九日同店に来店してウイスキーボトルを注文し、同年一一月、有効期限が切れたため、同店で同様にこれを期限切れとし、以後同女は昭和五七年一二月までの間同店にボトルを入れていないことが認められる。そして、これ以外、被告人、林恵美子、『無盡蔵』いずれの名義でも、ボトルの注文を受けた事実はない。なお同一経営の前記富士ビル二階のロイヤルドラムについても、被告人がボトルをキープした形跡は全くない。」旨証言する(証拠略)。

右証言は、被告人が、当公判廷において、「二月二四日は、『フアツシヨンドラム』で、新たにボトルをキープしたか、あるいは既にキープしていればそれを飲んだかのどちらかである。」と供述するところを、正面から否定するものである。なお、被告人は、当公判廷において、斉藤真理子名義のメンバーズカードの記載を自己の筆跡である旨指摘するけれども、同カードによれば、斉藤真理子名義でキープされたボトルも、昭和五六年六月二七日から三か月たつた同年九月には同様に処分されており、結局、二月二四日には被告人が飲めるボトルが同店には入つていなかつたことが明らかである。

右各証言が、いずれも、被告人に対し顧客として好意を持ちこそすれ(現に青山は好感を持つている旨明言している。)、殊更不利益な証言をするはずのない第三者による具体的供述であり、しかも、泉の証言は伝票に基づき、また木村の証言はメンバーズカードに基づくなど、いずれも客観的な物証に基づいていることに鑑みれば、その信用性は高く、これに反する被告人の右各供述はいずれも信用できない。

三  長尾と最後に別れた状況に関する被告人の公判供述について

1 供述の変遷

被告人は、本件審理の冒頭(第一回公判)において、自己が長尾を殺害していない旨公訴事実を否認するとともに、長尾と最後に別れたのは、二月二四日午後七時四〇分ころ「無盡蔵」店内においてであつて、その後の同人の消息は一切知らない旨供述していた。ところが、第一〇回公判以降、被告人は、長尾と最後に別れたのは、二月二六日午後九時ころ、池袋の西武百貨店前ロータリーの路上であつて、同日まで長尾は生存し、被告人と共に行動していた旨その供述を変更するに至つた。

右変更がなされたのは、第八回及び第九回公判に小松茂美が証人として出廷し、「多分二月二六日朝博物館から『無盡蔵』の長尾に対し、同日夕方立寄る旨電話をした。」旨証言し、同日における長尾生存を語つた直後であつて、更に、その変更後の内容も、同証人が「二月二七日以降長尾の行方をしばしば被告人に尋ねたところ、『二月二六日は店を少し早く閉めて、六本木の業者のところへ行つたのち、午後九時ころ池袋駅前で別れたのが最後だつた。』旨答えた。」旨証言したところに添うものであつて、被告人の本件公判における供述変遷の契機が小松証言にあつたものと窺われる。

2 これに対する評価

しかし、変更後の被告人の右公判供述は、次の(一)ないし(四)の各点に照らすと、到底信用できない。

(一) 被告人にとつて最後に長尾と別れた情景は、誠に印象深く、忘れようにも忘れられないはずであるのに、かかる重大な事実につき、肉体的、精神的に何ら圧迫のない本件公判廷で、その供述がこのように変遷していることは、それ自体右供述の信用性を著しく減退させるものである。

(二) 被告人は、二月二四日長尾と別れた際の状況について、第一〇回公判では、「二四日は店を出て長尾と別れた。」旨供述しながら、第二一回公判後は、「長尾が先に店を出、その一分くらい後に被告人が店を片付けて出た。」旨供述を変遷させている。また、二月二四日閉店後の行動についても、第一〇回公判では、「長尾と別れたあと池袋で飲んだと思う。その前に食事をしたかもしれないが、その辺ちよつとはつきりしない。」などと曖昧な供述をしていたのが、さしたる記憶喚起の事情も窺われないのに、第二一回公判以降は、「二四日は長尾と別れたのち、駐車場に車を戻してから、ミニクラブ・シヤトレーヌへ行つた。」旨明確に断言するようになつている(被告人の本件公判での供述態度には、思い浮かんだところをさも明確な記憶が存するかのように断言する傾向が随所に見られる。)。

(三) 被告人は、第一回公判で前記のような供述をした理由について、「当初最後に別れたのは二月二六日と思つていたが、捜査官から『お前が殺したのは二四日だ、二四日だ。』と言われ続け、いくら『二六日だ。』と言つても聞き入れてもらえなかつたため、やがて自分でも、二四日『無盡蔵』で別れた場面が最後だつたのかなあと思つてしまつた。第一回公判の時も二六日だつたのかなという気持があつたが、長いこと警察に二四日と言い続けてきたため、二四日別れたのが最後かと思い、間違つた認否をしてしまつた。」旨述べる(証拠略)。

しかしながら、右記憶の混乱は、それ自体不自然であるほか、次のような点を考えると全く納得し難い。

(1) 被告人は、二月二七日以降、連日のように小松茂美から長尾の行方や消息を尋ねられ、三月一日には、小松に対し、長尾と最後に別れた際の状況ということで、詳細な説明をしている(証拠略)。そして三月二日には、右小松から、長尾が行方不明になつた前後の状況につき、メモを付けてよく整理しておくように言われ(証拠略)、当時から長尾と別れた際の状況を何度も思い出し、説明して特にその場面は印象深く記憶に残つているはずである。従つて、最後に長尾と別れた場面につき、その記憶に混乱をきたすなどということは、通常では考えられないことである。

(2) しかも、被告人は、当公判廷において、「二月二六日、池袋駅前で長尾と別れた際、長尾から『明日バツトが来るかもしれないからよろしく。』と言われた。それを聞いて被告人は、長尾は明日鎌倉の高山秀人のところへ行つて店へは出ないのかなと思つた。翌日長尾が店へ出なかつたので、やはり鎌倉へ行つたと思い、小松に対してもそのように説明した。そしてそれ以後長尾の行方がわからなくなつた。」旨供述する(証拠略)。このように、別れ際の長尾の言葉と、その行方不明状況とが密接に関連し、一連の流れを持つたものであれば、池袋駅前で別れた状況のあとに『無盡蔵』店内で別れた際の記憶が混入し、錯覚を起こすことは通常考えられない。

(3) 被告人の当時の手帳には、二月二六日のところに「夜アジア会館」、二月二七日のところに「鎌倉MR(マスターの意)行き」とそれぞれ明確に記載されており、被告人は捜査官からこれを示されながらその説明を求められ、当時の状況を供述しているのであるから(証拠略)、もし右手帳の記載が被告人の記入時の真実の記憶に基づき書かれたものであるのならば、その記載によつて記憶を明確にされ、捜査官にも別れたのは二六日である旨断言できるはずである(この点からも、被告人が右手帳の記載につき、捜査段階において、「小松に対し、当時の長尾の行動について虚偽を述べていたため、同人から当時のことをメモに残しておくよう言われた際、その虚偽の説明の方をあとから手帳に書き込んだものである。それゆえ他の部分とインクの色が違うのである。」旨供述するところ(証拠略)は信用し得るのである。)。

(四) 被告人は、第一七回公判において、「二月二六日、長尾と共にアジア会館へ赴き、同所でパキスタン人ザヒード・ペルバス・バツトと会つて商品を見せてもらうなどした。この日商品は買つていないと思う。」旨供述する。

しかしながら、証人ザヒード・ペルバス・バツトは、当時の取引状況について、「一月一四日、日本に入国したのち、二月三日遅れて日本に入国したパキスタン人ナビード・イスチヤツクから長尾を紹介され、その一週間くらいのち(二月一〇日ころに該当する。)、初取引として、アジア会館で長尾に仏陀の立像と仏頭とを六〇〇〇米ドルで売却した。更にその二、三日後(同月一二、一三日ころに該当する。)、長尾にインクポツトを売つたが、その後同人と会つたことはない。それから一週間以上たち、かつ、ナビードが大阪に発つた日((証拠略)によれば二月二八日と思われる。)の一週間足らず前(およそ同月二〇日ないし二五日ころの間に該当する。)、その日の昼間に長尾との間で午後六時か七時ころにアジア会館で右六〇〇〇米ドルの売掛金の支払をしてもらう約束をしてあつたので、その日午後七時から九時まで同会館ロビーで待つていたが、長尾は約束を破つて来なかつた。そのため、自分はそれ以降何回か『無盡蔵』に電話を入れたが、いつも被告人が出て、長尾の行方はわからないとのことであつた。」旨供述する(証拠略)。右は、本件に何ら利害関係のない第三者の供述であるうえ、同証人は捜査官に対しても同様の供述を、一貫して、していることが窺えること(証拠略)などに照らせば、十分信用できるものであり、これによれば、被告人が、二月二六日、長尾と共にアジア会館へ行つた旨の公判供述は、明確に否定されることになる。

しかも、被告人が捜査段階において「二月二四日昼食後、被告人と長尾が店にいる時、パキスタン人のバツトから電話があつた。長尾が、『ノーマネー、エイトオクロツク』などと受け答えしているのを聞き、長尾が一か月前にバツトから買つた仏頭等の代金請求を受けて、午後八時にアジア会館でバツトと会う約束をしたのだと思つた。電話ののち、長尾が『今日アジア会館へ行つてくれるか。』と言うので、同人を車でアジア会館へ送る旨承知した。しかし、その後本件犯行に及び結局アジア会館へ行けなかつたため、二月二五日、バツトからは、『長尾いるか。』という問い合わせの電話があつたが『いない。』と断つた。」旨供述している(証拠略)ところと正に符合するものであつて、捜査段階における被告人の自白の信用性を高めるものである。

以上(一)ないし(四)に照らすと、長尾と最後に別れた状況に関する変更後の被告人の公判供述は、多くの点で、不自然、不合理な内容を含み、また、第三者の証言と矛盾するのであつて、全然信用性がないものと言うべきである。

四  二月二五日及び二六日における長尾の生存目撃証言等の評価

被告人が長尾を殺害したと捜査段階において自白する、二月二四日午後七時四〇分ころよりのち、同人の生存を目撃し、あるいは同人と電話で話したなどと証言する証人のうち、二月二七日以降の生存可能性を証言する者の各証言が措信できないことは前示のとおりである(第二の一2)。そこで、以下には、二月二五日、二六日の同人の生存を語る証言の信用性について検討する。

1 堅山証言

「無盡蔵」の常連の顧客であつた堅山壽子は、昭和五八年一一月一〇日及び同年一二月二二日の本件公判において、「二月二五日午後六時過ぎ、小山田佳穗と共に『無盡蔵』へ行つたところ、店内には長尾と被告人がおり、小山田が買掛金三五万円を支払つて、四〇分くらい話をして帰つた。」旨供述する(証拠略)。そして、同日夕刻同女が小山田とともに「無盡蔵」を訪れたことは証拠上明らかである。

そこで、同日長尾が同店にいたとする堅山証言の信用性につき検討する。

(一) まず、同女が右証言前この点についてどう述べていたかをみると、次のとおりである。

(1) 二月二五日から約一〇か月後の一二月末ころ、小山田との間で長尾が二月二五日に店にいたか否かにつき話し合つた際には、「結局同日長尾がいたか否かはわからない。」旨述べていた(証拠略)。

(2) 一二月二七日司法警察員に対しては「二月二五日に長尾がいたか否かはわからない。」旨述べていたと窺われる(証拠略)。

(3) 昭和五八年二月一五日検察官に対しては、「二月二五日は長尾に金を渡している。」と供述しながら、その翌日の昭和五八年二月一六日には検察官に対し、「二月二五日長尾がいたかいないかはどう考えてもはつきりしない。」旨述べている(証拠略)。

このように同女の述べたところは変遷し、しかも公判における供述と矛盾していることに照らせば、二月二五日長尾が店にいたか否かについて、同女はもともと確かな記憶を有していなかつたと認められるし、それは相当以前の事実に関することであるから、まことに自然なことと思われる(同女が公判で「その日長尾がいたという記憶は当初から変わらず有していたものである。」とし、それにも拘らず前示内容の各供述調書が作成された理由について縷々断定的に証言するところは、その内容自体に徴し不自然であり措信できない。)。そうであるのに記憶を喚起する特段の事情もないまま、同女が、本件公判において、当日長尾がいた旨断言するのは、不自然と言うほかない。

(二) 右堅山証言に関して、二月二五日堅山と同店へ同行した小山田は、当裁判所の証人尋問期日において次のように証言している。

「二月二五日、『無盡蔵』へ行つた際、長尾がいたかいなかつたかはつきりしないが、<1>いつであつたか、『無盡蔵』を訪れた際、長尾がおらず、『しばらく会つていないな。』という感じを抱いたことがあること、<2>『無盡蔵』へ行つて長尾がいなかつた時、被告人から『長尾はアメリカ旅行へ行つた。』と言われ、『それだつたら旅費が必要だつたろうから、二月二五日に支払つた三五万円をもつと早く持つてきてあげればよかつたな。』という気持をもつた記憶があることなどに照らして、当日は、どちらかといえば、長尾がいなかつた可能性が強いと思う。」旨右堅山証言と異なるあるいはこれを弾劾する供述をしている(証拠略)。

そこで右小山田証言の信用性を検討すると、

(1) 小山田は「この日店に長尾さんがいたかどうかについてはいなかつたと思うというぐらいにしか言えない。」と捜査官の取調に際しても述べ、その結論は一貫していること(証拠略)、

(2) 小山田は、「二月二五日、昭和五六年一二月一七日以降久しぶりに『無盡蔵』を訪れた。」旨供述しており(証拠略)、堅山証言によつても、少なくとも一月二二日以降は二月二五日まで同店を訪れていないのであるから(証拠略)、同人が、「しばらく長尾と会つていないな。」と感じたのが二月二五日かもしれないと考えるのは、首肯できること、

(3) 「旅費が必要だつたろうから二月二五日に支払つた金員をもつと早く持つてきてあげればよかつたな。」という気持を抱いた記憶があるということは、長尾が三五万円を持たずに旅行へ出掛けてしまつたという印象であるから、この点から、同証人が、二月二五日長尾がいなかつたのではないかと考えるところも首肯し得るところであること、

(4) 同人の証言は、全体を通じて記憶の不鮮明な部分は、不鮮明なものとして、推測や誇張を交えずに供述していることが窺えることなどの諸事情に照らすと、その信用性を肯認し得るものと言うべきである。

なお、弁護人は、同人の証言につき、二月二五日、被告人が小山田に対し、長尾がアメリカへ行つたと言うことはあり得ず、その証言は不自然である旨主張するが、同証人の証言内容を総合的に見れば、同証人は、長尾のアメリカ旅行を知らされたその日に、右三五万円を支払つたと証言しているわけではなく、右三五万円の支払について、右支払をした日の後に同店へ行つた際に長尾のアメリカ行きの話を聞き、その際、もつと支払を早くすればよかつたと思つたという趣旨のものと解されるのであるから、弁護人の主張はその前提を欠き失当である。

(三) 更に、堅山証言には、捜査段階では思い出せなかつた右三五万円の受渡状況に関し、細かい点まで断定的に証言し、しかもその語る内容が証言自体の中においても二度も変転している等、いい加減なところが窺われる。

(四) なお、堅山は、二月二五日長尾が店にいたと考える理由として、「一月二六日から三一日まで熊本に滞在した際田上正昭から依頼された指輪の入手方をその後長尾に頼んでいるが、一月末以降二月二五日に至るまで『無盡蔵』を訪れていないから、長尾に頼むことができたのは二月二五日である。」旨説明するが(証拠略)、小山田は、この点につき、「同女は二月二五日以前から『無盡蔵』で指輪の買物を頼んでいたと思う。」旨右堅山証言の前提を揺るがす供述をしており(証拠略)、この点も決め手とはなり得ない。

以上説示したとおり、右堅山証言は不自然に明確な記憶による供述や矛盾・変遷供述を含んでいるうえ、信用性の認められる右小山田証言と齟齬しており、直ちには措信し難いものであつて、これによつて長尾の二月二五日生存が、証明されたものとは到底言えない。結局、二月二五日に長尾が店内にいたか否かについては、その余の証拠の総合判断をもつて検討すべきものである。

なお、二月二五日に「無盡蔵」で小山田が買掛金三五万円を支払つた際、納品書形式の領収証を受け取つているところ、弁護人は、「被告人が領収証を発行する場合、長尾失踪前は、同人が店にいる時に受領した金員に関しては納品書形式のものを、同人が不在の時に受領した金員に関しては被告人の名刺の裏に領収の趣旨を記載した形式のものを、それぞれ区別して渡していたし、長尾失踪後は、被告人自身が店の商品を売つた分の代金の領収に関しては納品書形式のものを、長尾が売つた商品の後払の領収に関しては被告人の名刺形式のものを、それぞれ発行するようになつた。」旨の被告人の公判供述を前提として、「二月二五日に小山田が前記納品書形式の領収証を受け取つていたことは同日長尾が店にいたことを示すものである。」旨主張する。しかしながら、「無盡蔵」では領収証を渡さないことも少なくなかつたうえ、渡す領収証の形式が必ずしも前記のように場合を分けて決めていたものでないことが明らかである(証拠略)から、弁護人の右主張は前提を欠き、失当である。

2 小松茂美証言

「無盡蔵」の常連客で、長尾と特別な個人的付き合いもあつた小松茂美は、「二月二六日、昼前と思うが、勤務先の東京国立博物館から『無盡蔵』へ電話したところ、長尾が電話口に出た。同人に『今日夕方行きたい。』と言つたら、同人は『どうぞ。』と返事した。それで、同日午後五時半ころ、妻小松丸と妻の友人友永マリを案内して『無盡蔵』を訪れたところ、同店は閉店しており、非常に不審に思つた。」旨供述する(証拠略)。

そして、右証言を裏付けるかの如く、小松丸も、本件公判で、「二月二六日『無盡蔵』前で夫に対し『連絡してくれなかつたの。』と尋ねたところ、夫は『今日館(=東京国立博物館の意)から電話したのに。』と答えた。」旨証言する(証拠略)。

しかしながら、右小松茂美・丸夫妻の各証言については、それらの信用性を疑わせることになる次のような諸点を指摘することができる。

(一) 小松茂美及び丸は、いずれも、二月二六日に「無盡蔵」を訪れたことに関する細かいことについては、証言時、不確かな記憶しか有していなかつた疑いが強い。

小松茂美は、長尾に右電話を入れた日時について、九月二七日、捜査官に対し、「はつきりした記憶はないが、多分当日か前の日に電話した。」旨供述し(証拠略)、二月一二日、検察庁においても、「当日(博物館から『無盡蔵』に)かけた記憶だが、あるいは前の晩(自宅から長尾の自宅に)だつたかもしれない。」という趣旨の曖昧な供述をしていた(証拠略)。これらの供述経過に照らせば、小松茂美の長尾への架電の日時、場所に関する記憶はもともと曖昧であつたものと言わざるを得ない。

また、小松丸の証言は、当日の待ち合わせ時間を午後五時半と決めた時期、「無盡蔵」の出入口の状況、友永の個展の開かれた時期と捜査官による事情聴取を受けた時期との前後関係等、種々の点について記憶の混乱が見られ(証拠略)、不正確であるほか、その証言態度からも、当日の記憶はそれほど明確でないことが窺える。

(二) 小松茂美証言は証人友永マリの証言と矛盾し、これに関連する小松夫妻の各証言内容は不自然な点がある。

当日「無盡蔵」へ小松茂美夫妻と同行した友永マリは、本件公判において、「小松丸との間で、あらかじめ、二月二六日に池袋の西武美術館での、あるレセプシヨンに一緒に出席しその後小松茂美に『無盡蔵』へ連れて行つてもらう約束をし、その日レセプシヨンに出た後、小松夫妻と『無盡蔵』に行つた。その際、小松茂美は、閉店している『無盡蔵』の前で首をかしげ、どうしたんだろうという感じで『おかしいなあ。』と言つたのち、自分の近くへ来て、『四、五日前に連絡しておいたんですけどね。改めて連絡をしなかつたからかなあ。』と言つた。それは、照れ隠しにいい加減なことを言つていた印象ではなかつた。」旨明確に証言している(証拠略)。友永証人の供述は、具体的であるうえ、前後の状況から見ても自然な対応、やりとりを内容としていること、何ら利害関係を有しない第三者の供述であること、同女が初めて「無盡蔵」へ案内されて行つた際の出来事という強い印象をもち得る事項に関するものであること、同女は一〇月ころから捜査機関に対しても一貫して同様の説明をしていると窺えるなどに照らして、信用性に富むものと考えられる。

弁護人は、この点につき、小松丸が夫に、友永マリを「無盡蔵」へ誘いたい旨話したのは当日の二、三日前であるから(証拠略)、四、五日前に小松茂美が長尾にそのような電話をかけることはあり得ない旨主張するが、この点につき、小松茂美も検察官の事情聴取の際には「何日か前に決まつていた。」旨供述していたことが窺えるうえ(証拠略)、友永は、小松丸との間で前記レセプシヨンへの出席が決まつたのは一週間から一〇日前である旨証言し(証拠略)、小松丸も「四、五日前には出席が決まつた。」旨証言する(証拠略)のであるから、四、五日前に小松茂美が妻からレセプシヨンの後友永を「無盡蔵」に案内することを頼まれ、長尾に連絡するということも十分あり得るところである。

小松茂美は、昭和五八年二月一二日の検察官の事情聴取の際、「『四、五日前に連絡しておいたのに。』と小松茂美が友永に言つた。」という友永の捜査段階における供述を聞かされたときの状況について、「友永の右供述は、私自身の立場から言えば、歯牙にかける必要がなかつたので、自分の記憶はそうじやないと検事に対しはつきり言つた。」旨証言する(証拠略)が、架電時期の記憶が曖昧で妻らと話し合つて記憶を喚起したという小松茂美が、妻の親しい友人であり、当日その場に居合せ、直接、小松茂美の言つたことを聞いたとする第三者の供述を何故「歯牙にかける必要がない。」と言えるのか甚だ理解し難いと言うほかない。また、この点について小松茂美は、「右事情聴取後、妻との間で『僕は四、五日前に連絡しておいたのにと友永に言つた記憶がないんだけど、どうだつたろうか。』と、当日の自己の発言内容を問い直して確認したところ、『あなたは確かに、今日館から電話しておいたのにと言つた。』と言われたことから当日の記憶を喚起した。」旨も証言する(証拠略)が、小松丸は、小松茂美から右事情聴取の際の様子を当日聞かされたときの印象について「二月二六日のことに関して何か非常に曖昧なことを言つたらしかつたんですね。」と証言している(証拠略)から、右事情聴取時の小松茂美の二月二六日に関する記憶は不明確であつたと認められるのに、捜査官に対して友永供述を問題とせずに否定したと証言するのも不自然である。更に、小松茂美は「当日『無盡蔵』の前で友永とは全く口をきいていないので、四、五日前に連絡したのになどと言うはずはない。」旨も証言し(証拠略)、小松丸も「当日夫が友永に対し、恐縮して説明したようなことはなかつたと思う。そういう記憶はない。」旨証言する(証拠略)が、この点も、妻の友人で事前の約束に基づいて案内して行つた友永に対し、小松茂美が謝罪や弁明を一切しなかつたというのは不自然であり、友永の供述する前記の状況の方が、はるかに現実感があつて自然である。

(三) 小松茂美が、長尾への電話を二月二六日と考える根拠として挙げるところも、必ずしも首肯し得るものではない。

同人は、右根拠として、(ア)それまでも、「無盡蔵」を訪れる際、長尾に連絡を入れておく場合は、いつも当日であつたこと、(イ)手帳の記載によると、自分は二月二二日及び二三日と博物館を風邪のため欠勤しており、そのころ、体調についての見通しも立たぬまま、二六日のことを長尾に電話するとは思われないことを挙げる(証拠略)。

しかし、右(ア)の点について、小松茂美が長尾に訪問したい旨連絡をとるのが通常は当日であるとしても、二月二六日は友永を伴うという特殊な事情があり、当日連絡をとつてみたら長尾の方で差し支えるというのでは同女に申し訳が立たない事態になるのであるから、この時については事前に連絡しておいたということも十分考えられるし、(イ)の小松茂美が右架電の直前風邪をひいていたとの点については、小松丸がいずれもその事実を全く覚えていないこと(証拠略)、小松茂美が捜査段階において手帳を見ながら当時の行動を説明したにもかかわらず、その際風邪の話は全く出なかつた(証拠略)のに、何故、本件公判においてその記憶が喚起されたのか不自然と言わざるを得ず、その供述は直ちに措信し得ない。

(四) 小松茂美は、長尾からの収賄容疑で警察に取り調べられた際のいきさつから、本件捜査の途中から、捜査官に対し、激しい不満・反感を抱き続けているような様子も窺われる(証拠略)。

以上の事情によれば、二月二六日に電話で長尾と話した旨の小松茂美の証言及びこれに添う小松丸の証言は、いずれも信用性に疑問があり、これらによつて二月二六日の長尾生存が証明されたということはできない。結局同日における長尾生存の有無については、他の証拠関係を総合考慮して判断するほかはない。

3 まとめ

以上説示のとおり、二月二五日、二六日に長尾の生存を確認したとする諸供述は、いずれも信用性に疑問があり直ちに措信し得るものではないので、二月二四日犯行説を否定する決め手には到底なり得ない。結局犯行日の特定については、他の証拠を総合検討して判断する以外にない。

五  犯行日を二月二四日と認定した積極的根拠

1 被告人の捜査段階における自白

被告人は、捜査段階において、長尾殺害は二月二四日竹田昌暉が来店して一〇万円を支払い帰宅して間もない「無盡蔵」の閉店時である旨明確に供述している。右自白は、竹田の帰宅後に殺害した旨の記憶と結び付いた具体的なものであるうえ、竹田が「無盡蔵」を訪れるのはその開業している医院の休診日の関係から原則として水曜日であり、同人は、二月末の水曜日に同店を訪れた記憶があるところ二四日はこれに相当し(証拠略)、しかも当日同人が一〇万円を支払つた旨の記載のある同日付の領収証が存在して、犯行前の状況が裏付けられていることに照らすと、その信用性は高い。更に、被告人が逮捕の四日後の初自白の際から二四日以外の日を殺害の日として挙げたことがないこと及び前示のような被告人の捜査段階における自白全般の信用性(第四)をあわせ考えれば、被告人の犯行日についての自白も、信用性を十分に肯定できる。

2 長尾宅の新聞の状況と被告人のした処分

横田ビルにあつた長尾の住居には、同人が行方不明になつた後の三月一日以降は、被告人らが出入りしていたことは、証拠上明らかであるところ、前示(第二の一1(二))のとおり、九月二七日の検証時、右長尾宅に残されていた新聞で右三月一日付までの分は、二月一二日付から同月二三日付までの分と、二月二七日付以降の分のみであり、二月二四日付から二月二六日付までの三日分は右検証時残存していなかつた。新聞配達員は「二四日ないし二六日も配達した。」と供述している(証拠略)のに、何故この三日分だけがなかつたのか。この理由について、被告人は捜査段階で、「二四日に長尾を殺害したが、小松に対し二六日まで長尾と行動を共にしていたと説明していた手前、三月一日小松から長尾宅の様子を見に行くよう指示されて長尾宅に行つた際、右説明に合わせ、長尾が二月二六日まで新聞を読んだと見せるため、その場から小松に『新聞は二六日夕刊まで読まれている。』旨電話報告したうえ、玄関たたきに落ちていた二月二四日以降の新聞のうち二月二四日付から二六日付までの三日分の新聞を捨てた。」と供述しているのである(証拠略)。前記三日分の新聞だけが残存していなかつた理由としては、右被告人の自白するところによつてはじめて納得のゆく説明がつくのであり、長尾が夕刊も含めて右の三日分のすべてを、かつ、それだけ自宅外に持ち出したと見るのは不自然であるし、三月一日ころ小松が被告人から前記電話報告を受けたことは小松証言からも明らかであるから、他の者がその後右三日分の新聞を持ち出した可能性も認め難い。そうすると、右新聞の処分に関する被告人の自供は信用できることが明らかである。そして、右新聞の処分は、長尾殺害が二月二四日であつてはじめて意味を有する行為であることに徴すると、これは、本件犯行日が二月二四日であることを明瞭に指し示す事実と言わなければならない。

3 二六日、クリーニング屋訪問時の長尾の不在

中西正樹の検察官に対する供述調書(証拠略)によると、クリーニング屋である同人は、長尾が昼間不在勝ちのため、毎週金曜日の朝九時半ころ長尾宅を訪れて洗濯物の受渡し等をしていたものであり、その時間に長尾が不在になるときは長尾から予め連絡があるのが普通であつたところ、二月二六日朝、中西が長尾宅を訪れた際は、予め連絡もなかつたのに、長尾は不在であつたことが認められる。これは、長尾が二六日の朝、それ以前に殺害されていたことを推測させるひとつの根拠である。

4 二月二五日、二六日の被告人の金銭支出状況

前示のとおり(第三の二1)、被告人は、そのころ金銭に窮していたにもかかわらず、突如二月二五日及び二六日の両日で、計八五万八二〇〇円の個人的支出をなすに至つている。そして、右支出が、店の金を着服し、あるいは長尾の金員を奪うなどしたものと考えなければ説明がつかないことも前示のとおりである。そして、二月二五日の支出合計三四万八二〇〇円が、いずれも被告人の自宅付近の三菱銀行赤羽支店及び富士銀行赤羽支店からの銀行振込でなされていることに徴すると、被告人は、既に同日右各銀行振込の取扱が終了する前に店の金員を着服しているものと窺われ、この点も、長尾殺害がそれ以前であることを強く推認させる。そこで、それ以前の殺害可能な時間を考えると、二月二五日、「無盡蔵」は午後六時ないし七時ころまで小山田佳穗及び堅山壽子が来店しており(証拠略)、閉店後の銀行振込は考えられず、また、その殺害方法、死体等処分状況に照らし「無盡蔵」開店中に殺害することも考え難いから、結局、殺害したのは二月二四日閉店時から翌二五日開店時までの間と推認されるものである。

この点について、被告人は当公判廷において、「二月二四日には約三六万円の給料等を長尾からもらつた。」旨弁解しているが(証拠略)、仮に右弁解を前提としても、非常に金に困つていた被告人が、他に収入の当てもなく、受け取つたばかりの給与のほとんど全額を翌日送金することは不自然と言うほかなく、右送金の事実自体が店の金の流用、着服等の事実を推認せしめるものと言うべきである。

5 まとめ

以上の1ないし4の点を総合すれば、前示堅山証言、小松証言(第五の四)の存在を考慮して慎重に考えても、やはり被告人は二月二四日に長尾を殺害したと断定するに十分である。

第六結論

一  殺人について

以上説明したとおり長尾が行方不明になつた際の状況、「無盡蔵」店内の血痕遺留状況、長尾の行方不明後の被告人の不自然な行動等の各情況証拠に加え、被告人の捜査段階における信用性のある自白の存在、当公判廷における右自白を否定する各弁解の不合理性を総合考慮すれば、被告人が長尾を二月下旬「無盡蔵」店内で撲殺した事実は優にこれを認定し得るのであり、この点は、死体投棄場所について死体未発見であることを考慮してそれが京浜運河であると断定することを慎重に差し控えるとしても、もはや揺るぎようのないものである。そして、右犯行日時についても、被告人の捜査段階における自白とこれを裏付ける情況証拠を総合すれば、その自白どおり二月二四日午後七時四〇分ころと認定することができる。

よつて、当裁判所は、前示「罪となる事実」第一記載のとおりの事実認定をした次第である。

二  有印私文書偽造、同行使、詐欺について

右各事実については前示のように(第一)外形的事実については争いがなく、これを裏付ける証拠が存するところ、前示のとおり、被告人が長尾を殺害した事実が認められる以上、同人の推定的承諾ということはもはや考えられないから、弁護人の有印私文書偽造、同行使、詐欺についての無罪主張は、その前提を欠き、採用できない。

よつて、前示「罪となる事実」第二のとおり有罪認定した次第である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、判示第二の各所為のうち各有印私文書偽造の点はいずれも同法一五九条一項に、各偽造有印私文書行使の点はいずれも同法一六一条一項、一五九条一項に、各詐欺の点はいずれも同法二四六条一項にそれぞれ該当するところ、判示第二の各所為中各有印私文書偽造と各偽造有印私文書行使と各詐欺との間にはそれぞれ順次手段結果の関係があるから、同法五四条一項後段、一〇条によりそれぞれ一罪としていずれも最も重い詐欺罪の刑(但し、短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる。)で処断することとし、判示第一の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一三年に処し、同法二一条により未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

まず、判示第一の殺人の犯行についてみると、人間の尊い生命を奪い去ることの重大性、悪質さは言うまでもないが、特に本件では、長年多額の金員を与えるなどして厚遇してくれた店主をいとも簡単に撲殺したものであり、しかも、その殺害方法が、被告人に背を向けて歩きかける被害者の背後から、直径一・五センチメートル以上の鉄製ボルトでその頭部をいきなり力一杯殴りつけ、俯伏せに倒れた同人の頭部を更に数回ボルトで周囲に相当量の血が飛び散るほど激しく殴りつけて絶命させたという残忍なものであつて、周囲の家具等に残存していた多数の血痕等から窺われる遺体の惨状をも考え合わせると、犯行態様は悪質である。また、被告人は、殺害行為のうち、死体をじゆうたん等で梱包して処分したほか、床のじゆうたんに流れた血を拭つた後、その上からキリムを敷いて覆い隠す等の数々の犯跡隠蔽行為をし、その後同人の安否を気遣う知人らの問合せ等にも素知らぬ振りで応対して何くわぬ顔で七か月以上にわたつて店の経営を続ける一方、殺害当日から店の金にも手をつけるうち、売上金一二〇〇万円を勝手に引出し(判示第二の罪)店の品物を処分したり、被害者の自宅を物色してその室内を荒らしたうえ、同人の愛用品や母親の位牌を納めていた厨子までも売却処分するなどしながら、それらによつて得た多額の金員を遊興飲食代や愛人との旅行などに浪費し尽しており、これらが殺人を犯した不安や罪障感を紛らすための行動としての一面をもつことを考慮しても、やはり犯行後の情状の悪さにも格別のものがあると言わざるを得ない。そして、被告人は被害者の死体を京浜運河に投棄した旨の自白をしているものの、その遺体は未だ発見されるに至つていないのであつて、遺骨すら回収・供養できない被害者の親族が当公判廷で被告人の厳罰を求めているのも当然と言うべきである。なお、本件殺害の動機については、前示のとおり(事実認定についての説明第四の三3)量刑を考えるにあたつては、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に則つて、本件について考え得る種々の動機のうち量刑上被告人に最も有利と思われるところの、被告人が捜査段階で自白するとおりの激情犯として本件を扱うこととするが、右自白によると、被告人は、当日被害者から肉体関係を求められ、これを拒むや、「何のために高い金を払つているんだ。」と詰られたため、逆上して本件に及んだというものである。被害者の右言葉は、被告人にとつて心を傷つけられる屈辱的な言葉ではあるが、元はといえば、被告人自らが被害者の男色の相手をすることを承知で「無盡蔵」に就職し、長い間にわたつて、被害者の許を去ろうともせず、不愉快に思いながらも、被害者の男色の相手を勤めて来、そのために被害者から月々著しく多額に上る給料外手当てを受取つて贅沢三昧の生活を送らせてもらつていたことからすれば、被害者からの肉体関係の要求を拒めばそのような屈辱的な言葉を吐かれかねない関係に自らの意思で自己を置いていたものと言えるのであるから、被害者から前記のように言われたことについては、いわば自業自得とも言える面もないわけではないのである。そのうえ、前記のような言葉は、本件前にも昭和五六年夏以来一度ならず浴びせられていたというのであるから、客観的に見ればさほど衝撃的なものとも言えず、本件当時金銭に窮していたことによる焦燥感や店を継がせてもらえないのではないかとの不安感にかられていたという事情を考慮に入れても、被害者の前記言辞によつて憤激し直ちに殺害までも決意したことに対しては、動機においてもそれほど酌量すべき事情はないと評せざるを得ないのである。

次に、判示第二の詐欺等の犯行は、被害金額が一二〇〇万円と多額であり、その領得金も前記同様遊興や自己のためにするレリーフ等の購入等に費消されており、未だ弁償がなされていないのであるから、その犯情は決して軽視を許さぬものと言わなければならない。

以上に加えて、被告人は当公判廷で本件殺人の犯行を全面的に否認し、種々不合理な弁解をくり返して刑責を免れようとするなど、改悛の情も認められない。

これらの点に照らせば、本件の犯情は甚だ悪質であつて、被告人に対しては、厳しく刑事責任を追及しなければならない。

しかしながら、他面、本件殺人が前示のとおり被害者の発した心ない言葉に憤激しての激情に基づく偶発的犯行であること、被告人にはこれまで道路交通法違反による罰金前科以外に前科前歴がなく、本件殺害に及ぶまでは一応真面目に稼働していたものであること、その他被告人の生い立ち、家族関係等被告人に有利に斟酌できる事情も存するので、これらを総合考慮して、主文のとおり量刑した。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 金谷利廣 廣瀬健二 秋吉仁美)

(別紙(一))(略)

(別紙(二))

昭和五七年二月下旬当時の「無盡蔵」店内の概略<省略>

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